永遠について

結城浩

2005年1月5日

何だか、頭がまわらないので、思いつくまま日記を書いてみようと思います。

ふと「永遠というのは、時間の長さのことではない」と思いました。 私たちが感じる「時間」を引き伸ばした先に永遠があるのではないように思うのです。 …などということを考え始めたのは、はちこさんが書いていた日記を見てからでした。 ちょうど数日前、『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』を再読していて、 いわゆるスーパーKという、とてつもなくとてつもなく大きな数について思いを寄せていたせいもあるかもしれません。 あるいはまた、最近ずっと、カントールの「無限」について考えていたからかもしれません。 それはともかく。永遠というのは、時間の長さのことではない、と思いました。 ルイスだったと思うけれど「作者は、物語を書いているとき、物語の時間の外にいる」ということを書いています。 物語の中ではたった一秒の時間であっても、作者がその場面を書くときには好きなだけ時間をかけることができる。 思う存分その登場人物について考えることができる。 登場人物が一度まばたきをする間に、その人物の越し方行く末について考えることができる。 時間をかけることを愛と表現するならば、作者は登場人物に好きなだけの愛を注ぐことができる。 それは、物語の時間と、作者の時間は別次元にあるからだ。 私が「永遠というのは、時間の長さのことではない」といいたいのは、そういう意味だ。 永遠というのは、私たちの考えている、私たちがそこから通常は抜け出すことのできないこの世の時間とは別次元にある。 聖書で約束されている「永遠のいのち」は、そういう永遠について語っているのではないかと思うのです。