気ぜわしい日々の中でのメッセージ

結城浩

2003年10月20日

最近は、私事で気ぜわしい日が続いている。 そんな中で、 『海からの贈物』『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』というよい本を読むことができているのは、本当に感謝なことである。

結城のところには、 ロバ耳あなたのために、祈りますを通して、とても多くの方から悩み事やお祈りの依頼などが送られてくる。 それらの文章を読み、 その文章を書いている人々の心情や状況を思い、 そして神さまにお祈りをする。 忙しくはあるけれど、そのプロセスを通して私の中を何かが通り抜け、私自身が何かを受け取るような感じもする。 ひととき自分以外の誰かのことを考えることによって、自分のバランスが保たれる。 自分以外の視点に立ってみることで、私自身の問題解決の手がかりになることもある。 そして、何よりも、祈りを通して神さまとのコミュニケーションをとると、 「私は一人ではない。私を愛するいと高き方がいらっしゃる」ということが思い起こされる。

私は自分自身が26歳くらいの気持ちでいる(ここ、苦笑するところです)。 実際には私は40歳だ。 いつも新鮮な気持ちで本を書きたいと思っているけれど、 私の処女作が出版されたのが1993年だから、もう10年も経っている。 はじめてC言語に触れたのは1983年ころだから、もう20年も経っている。 もっとも、そんなことを言い出したら、 はじめて(タイプライタの)キーボードを叩いたのは10歳のころ、 つまり30年前だということになる。 私は30年もキーを叩き続けてきたのだね。

何だか年取ったなあ、という話ではない。 そのような時の流れを私は過ごしてきて、 それぞれの時代にはそれぞれの悩み事がたくさんあった、 ということを言いたいのだ。 しかし、その大半(ほとんどすべてと言ってもいい)は私は忘れてしまっている。 子供の悩みは小さいなんていうことはない。 大人はただ忘れているだけなのだ。 子供に向かって「そんな悩み事は小さいことだよ」というのはあまり意味がないかもしれない。 それよりも、私は、こう言いたい。

確かにその悩み事はいまのあなたには大きく感じられるかもしれない。実際に大きな悩みだ。 でも、あなたはそこをちゃんと通り抜けていくことができる。大丈夫。苦しいときもあるだろう。 失敗に終わるかもしれない。 でも、大丈夫だ。神さまはいつもあなたに最善の道を用意していてくださる。 私自身も、これまでのささやかな人生の中でほんとうにいろんなことがあった。 それをあなたの現状と比べたりすることはもちろんできないけれど、 けれど、神さまがいつもおられて、人生を導いてくださったし、 これからも導いてくださると、確信を持ってあなたに伝えることができる。 神さまは私を、そしてあなたをこよなく愛しておられるのだ。 だから、かけがえのない今日という一日を、しっかりと生きていこう。 主を信じつつ。主に感謝しつつ。

私は、自分自身のこれまでの人生を思い返しながら、 このようなメッセージをあなたとシェアしたいと思うのです。

現在のあなたへの励ましとなることを祈りつつ。