橋本礼奈さんと打ち合わせ

結城浩

2002年7月9日

昨晩は『結城浩のPerlクイズ』の打ち合わせで編集部訪問。 秋ごろには出版されることでしょう。

Perlクイズの表紙と本文のイラストは、 天才画家の橋本礼奈さんにお願いしているのです。 昨日の打ち合わせでは、原画もいくつか見せていただきました。 原画と印刷物とではずいぶん迫力が違いますね。

打ち合わせの後は、編集者のお誘いでみんなでお食事。 とても楽しいひとときでした。感謝します。 文章を書くということ・絵を書くということ・本を編集することの、 似ている点や異なる点、それぞれの作品のあり方などについて、 有意義な意見交換が行われました。

礼奈さんの話で興味深かったのは、 「自分」というものを作品に出さない、というお話。 クールに描く、といってもよいかも。 自分の思い入れとか、自分のオリジナリティというものを出すというよりも、 「いかにして適切に伝えるか」の方に重きを置いているとのこと。 さし絵などのように、注文を受けて描く場合には、 注文をする側の意図をどのように適切に表現するかに心を砕く。 自分で好きな絵を描く場合も同じで、 自分で自分に依頼する、というスタンスに近いらしい。

その話を聞きながら、私が考えていたのは、牧師さんが礼拝でメッセージをするときには 「通りよき管」という態度でいる、ということでした。 牧師さんは、自分の考えを述べているわけではなく、 神さまからのメッセージを会衆に伝えているのだ。 だから、自分の考えを盛り込むことや、自分のオリジナリティを強調するのではなく、 いかに神さまからのメッセージを適切に伝えるかに心を砕くべきなのだ。 「通りよき管」というのは、神さまから流れてくるメッセージに混ぜものをせず、 またパイプを目詰まりさせたりせず、いかに会衆まで届けるか、ということですね。

それはそれとして、表現というものは不思議なものだ。 いかにしたら適切に伝わるだろうか、ということをよくよく考えていくと、 面白いことに、ひとりでに表現者のオリジナリティというものが出てくるのである。 少なくとも私はそう思っている。 オリジナリティなんて、狙っていても出てこないのだ。

礼奈さんから原画のコピーをもらって帰る。 夜遅く家に着いてから、 奥さんに絵を見せると「プロってすごいわねえ…」と絶句。 とっても素敵な本に仕上がりそうで、今から楽しみです。