理解する喜びを伝える

結城浩

2001年10月12日

3つ目のパターンを誠意執筆中。 たぶん、もうすぐ、レビューアに送付できる、はず。

以下、ライティング・ハイになって書いている文章。

マルチスレッドのプログラミングって、パズルみたいでとっても面白い。 「スレッドが1つ」というのが「2つ以上」になっただけで、 どうしてこんなに複雑で難しくなるんだろう。驚くばかりだ。 マルチスレッドって、オブジェクト指向と似ていて、 面白いんだけれど、つかみどころがないような、どこかぼんやりしたようなイメージがある。 けれど。 登場する1つ1つの概念をていねいに解きほぐす。 具体的なプログラムを手がかりに、きちんと整理しなおす。 そうやっているうちに、 心の中にぼんやりと描いていたイメージが焦点を結び、 「なるほど、そういうことか!」 という瞬間が訪れる。エウレカ!の瞬間である。

もちろん、そういうのは、 自然科学の新発見や、新しい定理の証明などとは異なる。 マルチスレッドという仕組みは、 賢い人たちによって生み出され、すでに構築されたものだ。 つまり、本当の意味で何か大発見をしているわけでは、ない。 けれど、けれども、そんなことはどうでもいい。 いままで、自分がわからなかったことが「わかる」という瞬間はとても甘美なものだ。 おまじないのように「理屈はわからないけれど、こうする」というのではなく、 「あっちがああなっているから、こうするのだ」と判断できたときの喜びは大きい。

「本を書く」というのは「教える」ということだ。 そして「教える」ためには、教える側がまず理解していなければならない。 本当に理解したとき、そこには大きな喜びがある。 教える側はその大きな喜びを伝える義務がある。

喜びつつ教える。

喜びつつ本を書く。

学ぶ人に理解してもらうために。

読む人に喜びを伝えるために。