2003年の終わりをむかえ、両親のことを思う

結城浩

2003年12月26日

『ウェブログ・ハンドブック』は、数日前に本屋さんで立ち読みをした。 カバーや訳者あとがきのデザインが「目が回る」といううわさを聞いていたが、 本当にそうだった (^_^) 。 店頭ではあまり落ち着いて読めなかったので、アマゾンで購入。今日届く予定…というか、 いま玄関に箱が置いてあるのだが、開く時間がない。うみゅう。

実家の父に 『暗号技術入門』を送った。 次の日に父から電話があって「最近こんなことをやってるんだなあ」と感慨深そうに言う。 父に喜んでもらえるのはとてもうれしい。

私は父と母とに多くを負っている(当たり前か)。 いま、曲がりなりにも働いて妻子を養っているのは、 きちんと育ててくれた両親のおかげだと思っているし、 自分が親の立場になってみると、 自分の両親のようにはなかなか子育てできないものだ、 ということが良くわかる。 たとえば、私は両親がいわゆる夫婦喧嘩をしているのを見たことがない――というのは冗談に聞こえるかもしれないが、 実際、そうなのだ。 強いて言えば、不機嫌な口調で話し合っているのを聞いたことがあるくらい。それも二、三回だ。いや、三回はないな。

両親は共働きだった。ほんとうに真面目に働いていた。 母は働きながらも、食事の支度から子供のお弁当まで手抜きをせずに作ってくれたし、 不平や愚痴を一言もこぼさず家事をしていた。 父も、家の中の修理や種々のことを母から頼まれたとき、 まったく文句をいわずにすばやく片付けていた。

もちろん両親にも喧嘩するときはあるのだろうし、 愚痴や不平を言いたくなるときもあったのだろうが、 子供(姉と私)の前ではそういう否定的な面を見せることはほとんどなかったように思う。 両親の態度は、非常に深いレベルで「私の心の安定」の基となったように思う。 まあ、今にして思えば、そのような態度が必ずしも良いことばかりではない、 もう少し弱さを見せてもらったり、感情を吐き出すような態度を見せてもらってもよかったなあ、 とも言えるけれど。それはあまりにも贅沢な望みと言える。

ひるがえって、私。 奥さんから仕事を頼まれると私は「忙しいからなあ…」とぶーぶー文句言ったり、 子供に八つ当たりしたり…なかなか自分の両親のようには振舞えない。 でも、特に悲観したりしているわけでもない。 両親からいただいた素晴らしいものをできる限り子供に伝えつつ、 私は私なりに家族を愛そうと思っている。

家内は、私の欠けている面を本当の意味で補い、私の支え・私の助け手となってくれている。 ジグソーパズルのピースのように、いやもっと多次元的な組木細工のように、私を補ってくれている。 あまりにもうまい具合に補ってくれるので、私は神さまに深く感謝せざるを得ない。 それは、必ずしも私の望む方向ではないかもしれない。 でも、ふと、自分の立っているところを見回すとき、 「ああ、ここまで歩むことは私一人ではできなかった」 と思うことが本当によくある。 家内は、私が自分で定めた枠を取り外し、私が陥っている無限ループを断ち切り、 より大きな何かに結び付けていってくれる。 私は家内をそのような存在だと思っている。 そのような家内に出会わせてくださった神様に感謝します。

人間は(というか、私は)本当に近視眼的にしか物事を見ることができない。 いま自分が直面している問題に悩み、目の前の誘惑に負け、自分のプライドを守ることに全力を尽くしてしまう。 しかし、全知全能なる神さまは全く違う。神さまのはかりごとは、人間のはかりごとをはるかに越えているのだ。 だから、やはり、神さまを信じることが必要だ、と改めて思う。 自分の望みが叶うことは大事かもしれないが、もっと大事なことは神さまのご計画が成就することだ。 神さまを自分の味方につけようとする態度を改め、 自分が神さまのご計画に従うような態度をとるべきだ。

自分を王にするのをやめ、 自分の人生を自分のものだと思うことをやめ、心静かに神さまの御声に耳をすまし、 なすべきことをなす必要があるのだ。 この世に根を張ろうとするのではなく、 自分を旅人のように思い、いつか御国で神さまに出会うときまで――ほんのしばしの間――この世に間借りしている存在と思うべきだ。

今日という一日を大切にしよう。 神さまからお借りした体と心をきちんとメンテナンスしよう。 自分に関わる人に励ましと喜びを与えよう。 つらいところを通っている人のために祈ろう。 「そんなのはギゼンテキだ」とささやく声を蹴飛ばし、勇気を持ってなすべきことをなそう。

失敗もするだろう。できないこともたくさんある。負けてしまうこともきっとあるだろう。 でも、何度でも神さまの前に立ち返り、イエスさまの十字架のゆえにゆるしていただこう。 人の悪を思わず、自分の罪を神さまの前に告白し、ゆるしていただこう。 イエスさまの十字架のゆるしを過小評価することなく、疑わず、心から信じよう。 そしてはればれと、新しい気持ちで次の一歩を踏み出そう。

2003年も、もうすぐ終わる。 世界は混迷をきわめ、多くの権威が揺らぎ、信頼できるものは(自分も含め)ほとんど存在しない。 そんな中にあっても、イエスさまは変わることがないお方であり、権威の源であり、 間違いなく信頼できるお方です。

残り少ない今年も、そして新しい年も、 イエスさまに信頼して、一歩一歩歩んでいきましょう!