『暗号技術入門』の再校を読む

結城浩

待ちに待った『暗号技術入門 ―― 秘密の国のアリス』再校が到着。 再校になるとざらざらがだいぶ取れていて、 初校の加筆も反映されていて、楽しみながら校正ができる。

とりあえず、第6章まで一気に校正する。 とっても、面白い! 読んでいてわくわくする、知的冒険。 一見ややこしそうに見える図なんだけど、読んで理解できると、すごいカタルシス。

この本を書き始めたのが昨年の9月だから、もうすぐ一年だ。

神さま、神さま。あなたの御名を賛美します。 あなたが本を書かせてくださっていることを感謝します。 本が完成間近です。神さま感謝します。 あなたがはじめられたことですから、あなたが完成させてください。 主よ、感謝します。

この本を必要としている読者に、この本が届けられますように。 この本を通してもあなたの栄光があらわされ、 この本に関わるすべての人に、あなたからの祝福と恵みがたくさんありますように。

イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。

文章の校正をするときには、いろんな人の帽子をかぶり、その人になりきります。 暗号技術のことを知らない読者の帽子をかぶって読む。 断片的な知識を持っている読者の帽子をかぶって読む。 疲れて流し読みしている読者の帽子をかぶって読む。 じっくり細かなチェックをしている読者の帽子をかぶって読む。 さまざまな帽子をかぶりなおしては読み返し、気になったところにしるしをつける。 そして、著者の帽子をかぶってしるしをつけたところを修正する。 その地道な繰り返し。書くのも地味だが、読むのも地味、校正するのはもっと地味。

以下のリンクは昔書いた「校正の実例」など。 もっとも、再校の段階ではこの実例ほど大きな修正はそれほど出てこない(はず)。

ところで、こういう「文章の書き方」や「本の書き方」について書くと、 「そのような商売上の重要なテクニックを公開しても大丈夫なんですか?」と心配してメールを送ってくださる方がいらっしゃる。 お気遣いいただいてありがとうございます。

でも、大丈夫なんです。

私がいくら自分の文章のテクニックやノウハウを公開しても、 わたしが困ることはまったく起きないのです。むしろ良いことだけが起きます。 理由をいくつか挙げましょう。

まず、私が書いているような内容は、 本屋さんにいって「文章の書き方」の類の本を探せばたいてい書いていることです。 つまりは、表現は違えども、すでに公になっている内容が多い。 それから、いくら私が書いても、そのノウハウを実行に移すのは難しい。 実行に移せるような人は、実はそんなことはすでにやっている場合が多い。

それに、もしもわたしのテクニックやノウハウを使って、 わかりやすい本がたくさん生まれたとしましょう。 そのような現象が起こって、困る人は誰かいるでしょうか。 いませんよね。わたしも自分の本を書くときには他の本を参照して勉強します。 読みやすく、わかりやすい本がたくさん生まれたら、 自分がもっと勉強しやすくなる道理です。

そういえば、 山崎さんと奥村さんが共著で本を執筆していますが、公開レビューアを募集なさったようです。 こういう活動って素晴らしいと思います。 執筆がんばってくださいね。応援してます。

それはさておき話を戻します。 何より、私が自分がやっていることを文章にまとめて公開すると、 それは私自身の勉強になるのです。自分の考えがすっきり整理されるからですね。 また、自分で読み返して勉強にもなる。過去の自分から習うわけです。

さらに、公開していると、いろんな人から反応がある。 「こういう方法もありますよ」「こういうツールについてはどう思いますか」 「これはこうしたほうがよいのでは」「こんな本は書かないんですか」 これは一人で本を書いている人間にとってはかけがえのない情報です。 しかも、私がたくさん公開していればいるほど、 他の人からの反応や情報は的を射たものになる。 結城の現状にマッチした情報をみなさんが送ってくださるのです。

だからわたしは、自分が書いたものをせっせと公開している。 それは楽しい(いささか楽しすぎて仕事がおろそかになるくらい楽しい)し、 他の人にとっても役に立つし、自分にとっても役に立つ。 つまりは、誰にもデメリットにならない。

逆に、自分だけに閉じこもってしまうと、 メリットはほとんどなくなります。 自分だけの小さな世界がもっと小さくなっていく。

だから、わたしは嬉々として文章を書き、嬉々として公開しているのです。 (^_^)

似たような話を、わたしは何度も書いてますね。以下、リンク。

(2003年8月20日の日記から)

豊かな人生のための四つの法則