自己嫌悪に陥らず、神さまに目を向けよう

結城浩

何だかいろいろです。

やっぱり自分を誇ることはできないなあ、と思うのです。 自分の信仰というものは、けして自分の力で堅くできるものではない。 私の信仰は堅い、とうぬぼれていると、さっと足をすくわれるような出来事が起きて、 うろたえている自分を見出す。 そうなのだ。私の、ほんのかけらほどの信仰を支えてくださり、 堅くしてくださっているのは聖霊様なのだ。

でも、自己嫌悪に陥ってはいけない。 さっと悔い改めて、神さまに目を向けよう。 神さまを賛美しよう。 自分のような小さき存在に心を留めてくださり、 愛してくださり、信仰を与えてくださる神さまをほめたたえよう。

イエスさまの御名により、大胆に祈り、 主の御前に近づこう。 自分が足りないものであること、信仰の薄いものであることを自覚しつつ、 しかし、神さまはそこにこそ働いてくださり、 私のなすべき道を切り開いてくださる方であることを 信じよう。 確信のうちに、毎日を歩んでいこう。 ちょっぴりの知恵しかなくても、 ちょっぴりの信仰しかなくても、 そのすべてを主にささげよう。 そうすれば主はそれを大きく引き上げてくださる。 主に従おうとする意志を表明し、小さな一歩を進めよう。 そうすれば主は道を大きく開いてくださる。

どんな困難が来ても恐れる必要はない。 どんな困難があっても、主は必ず脱出の道を備えてくださるし、 人間の目に困難に見える状況であっても、 主はそれを用いて大いなることをなしてくださるからだ。

自分勝手に歩むのではなく、 主の善きご計画にしたがって歩めるようにと祈る。 自分の心も、体も、すべて主がおつくりになったもの。 主が祝福を与えようとしているものなのだ。

Perlで、単なるリファレンスがblessされてオブジェクトとしての命を得るように、 私自身も、主にblessされて本当の命を得ることができる。

Javaで、Threadのインスタンスがstartされてactive objectとしての主体性を得るように、 私も、主からの力を受けて、本当の主体性を得ることができる。

従うことで、一見、自分を失うように誤解しがちだが、 実際には、正しく従うべき権威に従うことで、本当の自分を得ることができるのだ。 そのとき、 よく油の効いたベアリングがスムーズにまわるように、 私はとても楽に、なすべきことができるだろう、と思う。

すべてを主に感謝し、主を高らかにほめたたえます。

イエスさま、あなたは素晴らしい方。 賛美されるべき方。すべての栄光はあなたのものです。ハレルヤ!

一人でも多くの方が、イエスさまと個人的に出会うことができますように。 自分の問題をイエスさまのところに持ち出し、 いえ、自分自身をイエスさまのところに持ち出し、 イエスさまの特別のお取り扱いを受けることができますように。

教養としての聖書ではなく、知識としての聖書ではなく、 自分の命に直結した御言葉としての聖書に出会うことができますように。

主よ、どうぞこの日本をあわれんでくださり、 そこに住む一人びとりにあなたの愛を注いでください。 幸福を模索しつつも、まだあなたに気がつかない方がたくさんいらっしゃいます。 大きな問題に心がつぶされそうになっている方がたくさんいらっしゃいます。 主よ、どうぞひとりひとりの霊の目が開かれ、 イエスさまに気がつくことができますように。

イエスさまのノックの音に気がつくことができますように。

イエスさまのお名前で祈ります。 アーメン。

(2002年6月9日の日記から)

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