文章を書くということ

結城浩

2003年1月17日の日記 に書いた文章に読者から反応がありました。 メールアドレスが書かれておらず、確認が取れませんでしたので、以下は無断掲載になります。 これを書かれた方、もしも不都合がありましたらご連絡ください。

ここから読者の文章

以下は結城様の日記にあった文章です。

時間をかけてていねいに書いて、読みやすく読みやすくした本ほど、 読者は時間をかけずに読むことができる。つまりは、 相互理解にかかる時間的コストを書き手側が負担するか読み手側に負担させるか、 ということですね。負担している人数を掛け算することを考慮すれば、 当然ながら書き手側が負担すべきだと私は思います。もちろん、 ものには程度というものがあり、判断にはいつもトレードオフが伴う。 時間をかけすぎて完成できない(読者に伝わる量がゼロ)になるくらいなら、 見切って完成させるのも大事ですね。 …ということで逃避終わり。仕事に戻ります。

(2003年1月17日の日記から)

私は研究の仕事をしており、同時に、教える立場にもあります。 表現力が乏しいからという理由もありますが、 どのようにすれば最も易しく意図を伝えられるのか、ということに悩みながら書いたり、 話したりしています。一般向けのテクニカルではない文章だけでなく、 同業の研究者向けの文章でも、なるべく簡潔で易しい文章を書きたいと願って努力しています。

上記の文章は、私が考えていたことと全く同じでした。 でも、理由はもう一つあるのだと思います。 それは、自分が悩んで得た理解をなるべく多くの人に知ってもらい、 可能な限り役立ててほしいという欲求です。 私には、なぜ自分にそんな欲求があるのか分かりません。 私は、自分を犠牲にしてもいい、と考えるような高貴な人間では絶対にありませんから。 でも、勉強会などを組織したりするとき、授業をするとき、そういう気持ちがある気がします。 結城様は書かれていませんが、おそらく、似たような気持ちを持っていらっしゃるかもしれない、 などと勝手に考えてしまいました。 とくに、入門向け文章を書くとき、どこまで噛みくだくように書くかは、 私は自分の中にそうした気持ちが働いているのを感じます。 正直言って、コンパクトに書く方が楽ですから。

PS. 「逃避」にしては深すぎる内容です...

ここから結城

フィードバックありがとうございます。 とても考えさせられる内容でした。 書くときも話すときも意図がうまく伝わるように努力していらっしゃるとのこと、 とても素晴らしいことだと思います。

さて、 「自分が悩んで得た理解をなるべく多くの人に知ってもらい、可能な限り役立ててほしいという欲求」 についてです。 そういう気持ちがありますか、 と問われれば「そういうのもありますね」と答えられるように思います。 でも、正直申しまして、まさに文章を書いているときには、そういう欲求はあまりないようにも思います。 むしろ、ていねいに書くのが楽しい、わかりやすく書くほうが気持ちがいい、 という単純な気持ちのほうが強いかもしれません。 先日の日記に書いた内容も、いささか「ええかっこしい」な文章でして、 自分がちまちま時間をかけて文章を書いたり修正したりしていることに対して、 後付けで理由をつけているような感じがします。

私はコンパクトに書くのはうまくありません。 読み返し、書き直しているうちに、どんどん長くなっていきます。(^_^;

ともあれ、フィードバックありがとうございました。 メールアドレスがありませんでしたので、無断掲載になってしまいましたが、 もし不都合がある場合にはご連絡ください。

(2003年9月12日の日記から)

豊かな人生のための四つの法則