月曜日の朝は仕事したくない

結城浩

2000年5月29日

月曜日の朝は、ほんとに仕事したくない。 やだやだやだよう、などといいつつ仕事にかかる。 自分を だまし だまし ファイルを開き、文章を書き始める。 いや、文章をまず読む。これまでに書いた文章をゆっくりじっくり読む。 そうしているうちに頭のウォームアップがすんで(あたまがあったまって) 少し文章を手直ししたり、書き足したりする。 そのうちにだいぶ心も落ち着いてきて「ああ、そうだった、祈って仕事しなくっちゃ」などと思い出す。 それで、祈る。 やりがいのある仕事が与えられていることを感謝したり、 今日という一日を懸命に誠実に生きられるように願ったり、 いつも自分という存在をユーモアをもって眺められるように祈ったりする。

生活や仕事が停滞気味のとき、 進捗が目に見えないとき、ぽっかりと気持ちに穴があいてしまうとき、 どうしても落ち込んだり、闇雲に動いてつまづいたりしがちだ。 これまでの歩みを忘れて「自分は駄目だ」と嘆いたり、 よい点に目を止めず、わるい点ばかりに注目してしまう。 現在の停滞が永遠に続く(理性的に考えればそんなはずはないのに)と錯覚したりする。 もちろん勇気は必要だ。でもその勇気はとんでもない勇気ではない。 ほんの一歩、いつもの歩みを繰り返す勇気。 間違った歩みをしていたら、そこから一歩引き下がる勇気。 少し前の分かれ道で悪い道を選んだことに気がついたら、 あえてバックして、よい道を選びなおす勇気だ。 つまりは、自分にできることをきちんとやる勇気なのだ。 そしてその力は、主なる神さまを信頼して祈ると、 必ず与えられる。

恐れるな。

たじろぐな。

主は決してあなたを見捨てない。あなたを離れない。

今日という日は誰がお作りになったのか。
天を動かしているお方は誰か。
大地によってあなたを支えているお方は誰か。
誰があなたの体と心をお作りになったのか。
誰があなたに息を吹き込み、命をお与えになったのか。
誰があなたをその場所に置かれたのか。
誰があなたに信仰を与えるのか。
誰があなたの口に祈りを与えるのか。

あなたの信仰はどこにあるのか。

恐れるな、万軍の王なる主イエスが、 いま、あなたと共におられるからだ。