「文章教室」の意味

結城浩

2002年1月21日

「文章教室」の意味について考える。

私の出した課題に対して、たくさんの方が投稿してくれる。 私は投稿された文章をゆっくり読んで、気になったところを指摘する。 指摘するうちに気がついたことがあったら、少し文章を書く。 「文章教室」というのは要するにそれだけだ。 それだけなんだけれど、私は意味があると思ってやっている。 投稿する人も、それぞれに何か意味があると思って投稿しているのだろう。

私はこんな風に考える。 日々文章を書いていて、 他の人から文章のおかしなところや気になるところを指摘してもらえる場面というのは意外に少ない。 仕事で、報告書の内容を上司に見てもらうときや、 学生が、先生に論文を指導してもらうときぐらいじゃないだろうか。 普段、Webで日記や雑文を公開している人ならわかってもらえると思うが、 善意の校閲者というのはとても少ない。 それは無理もないことだ。 だって、人の文章を読んでそれにコメントをつけるというのは、 時間がかかる作業だし、相手はいやな顔をするかもしれないし、 それに的外れな指摘だったら恥ずかしいし…。 要するに読者にとっては、 人の文章にコメントをつけるメリットは何もないのだ。

では、書き手にとっては「コメント」を受けるメリットはあるだろうか。 おおありだ。少なくとも私はそう思う。 自分さえ理解できればいい、あるいは内輪でウケればいいのさ、 という文章を書いているならさておき、 複数人にちゃんと読んでもらう文章を書いているなら、 読者からのコメントは非常に重要だ。 自分が書いた文章を、読者は読みやすいと思ったか読みにくいと思ったか。 気に入った表現、不愉快になった表現はあるか、それはどこか。 誤った情報はないか。不足している情報はないか。 そしてもちろん誤字脱字の指摘。 …そういうコメントは、現在の文章をよりよいものにする助けとなるのみならず、 今後自分が文章を書きつづけていく上ではかりしれない意味を持つ。 だから、よい書き手は、コメントを送ってくれる相手を大事にしなければならない。 たとえその人が、辛口のコメントを送ってくるとしても。

結城は本を出版するときに、自分が書いた原稿をプロの編集者に読んでもらう。 プロというのは確かにプロであって、 書いているときにはまったく気がつかなかった点まで細かく指摘してくれる。 編集者の存在は書籍の質を高める上で欠かすことができない。 結城は、本の執筆途中で、ボランティアのレビューアからレビューを受け取る。 レビューアもまた、編集者とは別の視点から、多くの指摘をしてくれるありがたい存在だ。 編集者にしろ、レビューアにしろ、提示された文章に関して言いたいことを言う。 そのコメントを採用するかどうかは著者の考えだが、 どんなコメントであっても、無駄にはならない。 自分の文章を違う視点で読み直すきっかけになるからだ。

さて、 結城は編集者から指摘を受け、レビューアからのレビューをもらう。 「文章教室」ではこれを逆転させようとしている。 つまり、この企画では結城が編集者であり、レビューアであり、一読者なのである。 「文章教室」に投稿された文章は、たとえどんなに短い文であっても、 書き手が書いた作品にほかならない。 結城はその作品をていねいに読む。 そして感じたこと、気がついたことをコメントとして書く。 相手を励ましたい、よい点を見出したいという気持ちは持っているけれど、 決してお世辞なんか使わない。可能な限り率直に、できるだけ具体的に、 投稿された文章に対して私の思ったことを書く。

投稿者が学ぶタイミングは3回ある。 投稿前に1回と、投稿後に2回だ。

投稿前には、投稿者は頭を使い、手を使って文章を書く。 読むと書くとは大違いだ。どんなに短い文章であっても、 他の人に読まれて、しかもコメントがつくとあっては、意識が変わる。 読みやすい文章を書くコツの1つは、 自分の文章が人から読まれると意識することだ。

投稿後、結城のコメントがついた後も学ぶチャンスはある。 それは、結城のコメントが素晴らしいからではない。 結城が、書き手とは別の人格だからだ。 コメントをつけるのは実は誰でもいいのである。 書き手以外の人格で、文章を読んでくれて、何かを言ってくれる人ならば。 読みやすい文章を書くもう1つのコツは、 実際に他の人に自分の文章を読んでもらうことだ。

そしてもう1つのチャンスは、 同じ課題にチャレンジした他の投稿者の文章を読むときだ。 同じ課題に対して、こんなアプローチもあるのか、と多くの人は驚き、楽しむ。 でも、本当に楽しめるのは、 自分の頭と手を動かして自分の文章を書いてみた人だけだ。 読みやすい文章を書く、さらにもう1つのコツは、 もっと読みやすい書き方はないかと頭を使うことだ。

当たり前といえば当たり前なのだけれど、 文章を読むと書くとでは大違いだ。 自分で実際に書いてみなければ、その苦労も喜びも、絶対に分からないのだ。

付記:上の文章を読み返してみると、 何だか生意気で偉そうな書き方だなあと思う。