恋が終わり、愛がはじまる

結城浩

こんばんは。結城です。いかがお過ごしですか。
ちょっとあなたとおしゃべりしたくなってお手紙を書いています。

今週の東京は何だかむちゃくちゃな天気です。
ごうごうと雨が降ったかと思うと、むあむあと暑くなったりしています。
主の守りのおかげで、私や家族の健康は守られています。感謝です。

いま、私は自宅のライティングデスク(ライティングビューローというのかな)
の上にノートパソコンを広げ、ぱたぱたとタイプを打っています。
タイピングに飽きたら居間のソファにごろんと寝転んで、
ホフスタッターの『メタマジック・ゲーム』を読みます。
蒸し暑いので、エアコンをぶんぶんかけています。

今日はいっしょに仕事をしている人からいろいろとクレームがついて、
ちょっぴり「あーあ」という気分になりました。
まあ、それなりにまともな返事をメールで返したのでよしとしましょう。
なかなか仕事はつらいものです。

私のサイトにはたくさんのページがあり、いろんな企画がありますが、
それらは結局「私がほしいと思っているページ」なのだな、
ということに今日気がつきました。

例えば『祈りの小部屋』というページがありますよね。
それは私自身が
「こんな風にクリスチャンの友人に祈ってもらえたらうれしいな」
と思ってできた企画のようです(はじめた当初はあまりそうとは
意識していなかったのですが)。
『ゆるしのページ』とか『共有日記』とか
『subsession』とか『ロバ耳』とか…全部そうです。
私自身が「ほしいなあ」と思ったページを作っているみたいですね、どうやら。

そうそう。書いている本もそうです。
『Perlで作るCGI入門』なんかは、
まさに結城が掲示板を作ろうとして四苦八苦していた経験がそのまま
本になっている感じですね。
自分が、ほしいなあ、と思った本を書いているのです。

(話はそれますが、最初に結城が作ったのはアクセスカウンタでした。
 でその経験を元に「アクセスカウンタの作り方」というページを作ったら、
 質問メールが大量にくるようになってしまいました。
 ええい、それなら本を書けばいいや! と思って本を書いたのですが、
 今度は質問メールが掲示板やチャットなど多岐に渡るようになっちゃいました。
 ははは…(^_^; まあそれもまた「飯のタネ」なので結構な話ですが)

私は文章を書くのが大好きです。何かこう…あることを理解したいとき、
自分の心でしっかりととらえたいとき、私は文章を書きます。
(親しい人がそばにいれば、その人に話すこともありますが)
そのことについて文章を書いているうちに、
ひとりでに「私は何を知らないのか」「何を知っているのか」が
くっきりとわかってくるように思います。

あることについて文章を書く。
そしてその文章を読む。うまくピピッとわかったら、
私はその「あること」についてわかっている。
…そんな感じがするのです。

文章を書くとき、私は、主観的には「話をしている」つもりでいます。
自分が話したいと思っていることをその順番通りにタイプしている
感じがしています。実はあまり構成は考えていない。
構成はあとからやっているのです。校正のときにね。(^_^)

文章ではうそをつけない。大量の文章はうそをつかない。
ある人が書いたたくさんの文章を読めば、
その人が本当には何を考えているのか、がわかるように思います。
違うかな? どう思いますか?
大量の言葉は、ある真実を浮き彫りにするように思います。

人間関係も同じかな。
一週間に一回デートするだけの間柄ならば「ごまかし」も効く。
けれど、夫婦となって、毎日毎日いっしょに暮らしていると、
うそやごまかしは効かないとよく思います。
自分の醜さは隠せない。
そこで恋が終わり、愛がはじまるのでしょうか。

おや、もう10時をまわっていますね。
そろそろこのお手紙を投函しましょう。
いつも私の何ということもない文章を読んでくださって、
ありがとうございます。書いているのは私ですけれど、
読んでくださるあなたがいるから書いているのですよね。
心から感謝します。

あなたの今日はいかがでしたか。
最近思うことなど、そっと教えてくださいな。

今日は水曜日。もう週の半ばですね。
残りの日も、父なる神さまの愛、イエスさまの恵み、
そして聖霊さまの親しき交わりが、豊かにありますように。

それでは、また。
おやすみなさい。