ハイネケンを飲みながら

いまを生きる

結城浩

結城です。

一週間ほどネットから離れていたら、
世の中は夏になっていました。
今日は暑い一日でした。
例によってだらだらと思い付くまま書いていきます。

小学生のとき盲腸の手術をして一ヶ月くらい入院していたことがありました。
退院してもしばらく家でごろごろしていて、
なかなか学校に行くことができませんでした。
「ちょっと熱っぽい」
「ちょっとだるい」
といういいわけを日々考えて、
学校に行く日を一日一日先延ばししていたんです。

長い間休んでいて、はじめての登校っていうのが、
なぜかすごく嫌いなんです。
36になった今でもね。(^_^;

自意識過剰、という点もちょっとあります。
他の人は私が休んでいることなんかあまり気にかけていないのに。
重大事のように考えているのは私だけなのに。

こういう「おっくうさ」とか「ちょっと心にひっかかる感じ」っていうのは
なかなか、なくならないものですね。
いまは「まあいいさ、こういう自意識過剰と小心さも私自身なのだから」と
まるごと受け止められるけれど(主に感謝)、
小学生のときはつらかったなあ。
でも、そういうナイーブさというか、
細かな心のゆれは、親にも伝わっていないんだろうなあ。

今日は礼拝後、一人で吉祥寺の町に行き、
Jazzがいつもかかっているお気に入りの
自然食のお店にお昼を食べにいきました。
あまりにも暑いので誘惑に負けて、ハイネケンを飲みながら
自然食をおつまみにしていました。
来る途中で買った文庫本の『ポンド氏の逆説』(チェスタトン)をゆっくりと読みながら、
ビールを飲みつつ、いろんなことを考えておりました。

いろんなこと?

生きること、死ぬこと、
日々の生活のこと、親のこと、子どものこと、
信仰のこと、ネットのこと、まあそういったことですね。

「世の中」っていうものについても少し考えていました。
よく「世間では…」とか「世の中では…」という意見ってありますよね。
あれってどのくらい信憑性があるのかなあ、などと。
実体のない、亡霊みたいな「世の中」に振り回されたくはないなあ、
などと思っているのです。

私はクリスチャンで、
できるだけ自分がクリスチャンであることを公言しようとしています。
そうすると、ときおり(思ったほどではないけれど)波風がたつときがあります。
そういうとき、自分が中途半端な態度をとっていると、
波風はけっこう苦しかったりする。
けれど、旗色鮮明な態度をとっていると、
意外とスムーズにことが進んだりする。
不思議なものです。

旗色鮮明な態度、といっても偽善者くささぷんぷん、という意味ではなく、
自分が何を基準として、何を第一としようとしているか、という立脚点を
よく理解している態度という意味です。
「聖書に書かれている神さまを第一とし、
 神さまが命じているとおりに隣人を愛する」
ことを目標として歩んでいることを忘れない、ということなのでしょう。
(しょっちゅうずれるのですが、(^_^;
 それを「目標として歩んでいる」「歩もうとしている」のです)

聖書を基準としていると、
「この世」に流れている価値観の多くが「根無し草」であることがよくわかります。
ドラマ、漫画、映画、小説、その多くが。
それらを私もそれなりに楽しむけれど、
その内容のなさ・浅さにはうんざりすることも多いのです。
でも、私も聖書を学ぶ前は、そんなこと全く気付いていなかったから、
自分が偉いわけではないんですが。

私が特に嫌いなのは
「好きという感情を抱いたら、何をしてもいい恋愛ドラマ」
ですが、まあ、あまり嫌いなものの話を書いてもしょうがないですね。
ごめんなさい。

きっと明日から仕事しなくちゃいけないので、
気がたっているのでしょう(^_^;
長い間休んでいて、仕事はじめるのが、
すごく嫌いなんです。

(でも、イエスさま。これがいまの私そのままです。お受け取りください。
 そしてあなたの御用のために、あなたの御心のままにこの身を変えてください)

あなたは、きょうはいかがお過ごしでしたか。
また、あなたのお話も聞かせてくださいね。

ではまた。おやすみ、なさい。

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