To: You From: Hiroshi Yuki Date: Tue May 22 23:00:00 2001 Subject: [Letter] こんばんは。結城です。 今日は、読み返さず編集せず、手の向くまま気の向くまま お手紙を書いてみようと思います。乱文ご容赦。 最近、何となく心にひっかかることがあるような気分がします。 足先が地面にひっかかってうまく歩けないような、 そんな感じが少しします。 自分の中ではその原因はわかっているようなわかっていないような。 最近はよく本を買っています。読んでいないけど。 本書きの狭間の時期にあたっていて、初校の校正の疲れと、 次に書く本への助走があいまって、何となく気分が空白。 ぽへらっとしています。本を買うのは他者の介在、外部からのトリガー、 自分へのジグラー(jiggler)を探しているのかもしれない。 でも、本を読むと、校正癖が残っているため、 他の人の本を校正し始めるから、かえって疲れる。 やれやれです。 「義務」とか「べき」について考える。 「○○すべき」事柄ばっかりがまわりに集まっていると疲れる。 自分の活動がすべて「必須」「義務」になってしまったら悲しい。 なぜだろう。きっと「遊び」がなくなるからだな。 「遊び」「自由度」「自分が工夫する余地」 うん、そうそう。「自分が工夫する余地」って大事だ。 言われたことを言われたとおりするのはつまらないし、 何だか自分が無意味な存在であるかのような気持ちになる。 もちろん、仕事をやっていると「義務」「べき」ばっかりだ。 それに加えて「納期」だの「〆切」だのが加わって、やれやれ。 でも、そんなときこそ。 頭のスイッチをカチリと切り換えよう。 困り果てている自分を笑い飛ばし「自分なりの工夫」を見つけ出そう。 やっつけなくちゃいけない仕事があるなら、 自分をうまく「だまそう」。自分をおいしいもので釣って、 楽しみつつやっつけよう。 仕事の内容がつまらないなら、やり方を工夫しよう。 自分がいままで試さなかったやり方でやってみよう。 スイッチを、カチリと切り替える。 頭のスイッチだけではなく、心のスイッチも切り換えよう。 困り果てているとき、疲れ果てているときは、 自分のことしか見えていない。 目先のことしか見えていない。 心のスイッチを切り換えて、深呼吸をしよう。 「カチリ」 天にましますわれらの父に思いを向ける。 わたしを、あなたを、無条件に愛してくださる「いと高き方」に心を向ける。 わたしは、愛されている。 わたしは、愛されている。 無条件に、まるごと、そっくりそのまま、わたしは愛されている。 神さまがわたしをお創りになったからだ。 神さまの「わたしはあなたを愛している」というメッセージを、 もう一度きちんと思い出す。 胸に右手をそっとあてて、 「神さまはわたしをまるごと愛している」とささやく。 「神さま、ごめんなさい」「イエスさま、ありがとう」と祈る。 そうすると、たくさんのことを思い出す。 イエスさまが、いつも共にいてくださるということ。 わたしは、ここにいていいのだということ。 放蕩息子が帰ってきたとき、父の方から走ってきて抱きしめてくれたということ。 死にかけた泥棒ですら、死の直前の悔い改めで救われたということ。 神さまに愛されるのは、潔癖に生きたことを誇る人間ではなく、  「つみびとのわたしをあわれんでください」と訴えた人間だということ。 神さまはわたしの弱いところにこそ働いてくださるということ。 イエスさまは、罪びとのためにこそ来られたのだということ。 そして、自分の傲慢さにも気がつく。 自分の力だけで何かができると思う傲慢さ。 自分が自分の将来をすべて決められると思う傲慢さ。 自分の将来はこうなる、と自分で思い込む傲慢さ。 自分の能力を過信したり、卑下したりする傲慢さ。 ぜんぶ、ぜーんぶ、自分しか見ていないから傲慢なのだ! 神さま。神さま。 わたしはつみびとです。 つみびとのわたしを、あわれんでください。 イエスさまの十字架のゆえに、わたしをおゆるしください。 イエスさまのお名前によって、祈ります。 アーメン! あなたの救いは完全ですから、感謝します! ================================================ 結城浩 [Letter] の登録ユーザにお届けしています。 登録や解除は http://www.hyuki.com/letter/ から。 ================================================