To: You From: Hiroshi Yuki Date: Fri Jul 26 00:30:00 2002 Subject: [Letter] こんばんは。結城です。 暑い日が続きます。いかがお過ごしですか。 今日は打ち合わせの関係で夜中まで仕事をしていました。 人と会う、というのは緊張する部分もありますが、 気持ちに張りが出て、ちょっといいもんですね。 先日から「レクチャ」という新しい企画を始めました。 メールを使って、自分の勉強過程を他の人に見せるような企画です。 http://www.hyuki.com/lecture/ この企画もまた、どんな風に進むかわかりませんけれど、 聖霊様が正しい道へ導いてくださることを期待しています。 うまく説明することは難しいんですけれど、 私は、自分自身がとても「自由」であるような感じがします。 誤解を恐れずに言うと「ああ、私は何をやってもいいのだ」という感覚です。 思い切って何でもやってみる。何でも始めてみる。 思うように行かないかもしれないし、失敗するかもしれない。 でも大丈夫。きっとすべては無駄にならないから。 無駄になるどころか、 思いもかけない新しい道が開け、 思いもかけない新しい世界に至ることができる…。 私は何だか、そんな感覚をいつも持っているのです。 考えてみれば幸せなことですね。 でも、それは、私の力ではない。自分の力で得たものではない。 ただ、神さまのあわれみと恵みからやってきたものだ、と確信しています。 なぜって、私の中から出てくる「よいもの」ってまったくないんですもの。 私の中からはぞろぞろと汚いもの、醜いものしか出てこない。 弱いもの、愚かなもの、ぐちゃぐちゃしたものしか出てこない。 私は弱い存在で、私は(自分でいやになるほど)小さい存在なのです。 けれども。 そのような自分を自覚した上で、神さまにすべてをまかせる。 「神さま、私はどうしたらいいでしょうか」 「神さま、私をあなたの思うとおりに動かしてください」 そのように祈り、委ねるとき、ほんとうに素晴らしいことが起こるのだ。 Trust me. 失敗する。罪をおかす。自分の弱さに直面する。 そのようなときにも大胆に、神さまに告白する。 そして、イエスさまの十字架によって完全にきよめていただくのだ。 イエスさまの救いは完全ですから感謝します。 確かに、自分の行いの「刈り取り」が必要になることもあるだろう。 しかし、それでもなお、どんなときにも、どんなことでも、 神さまに告白をする。イエスさまの御名の権威によって祈るのだ。 自分の弱さという現実に直面すると、 そのような祈りがまるで無為に感じられるときがあるかもしれない。 でも、あえて。 何度も祈る。信じて祈る。 自分の心が問題にとらわれているとき、視野が狭くなっているときほど、 祈りが必要だ。神さまの介入によって、 穴に落ち込んでいる自分を引き上げていただくのだ。 特に、人間関係は難しい。 おうおうにして陥る失敗は「相手を支配しよう」「相手を変えよう」とすることだ。 自分の力で相手を変えるなんて難しい(自分すら変えられないんだもの)。 相手を自分の思い通りにするのではなく、相手を自分の考える枠に押し込むのではなく。 自分と、相手と、それから両者の関係を、神さまに整えていただくのだ。 自分にとっての最善ではなく、神さまにとっての最善がなされることを願う。 自分の計画ではなく、神さまのご計画がなされることを願う。 人間関係改善の第一歩は、ほかならぬ自分が、神さまとしっかり結びつくこと。 神さまに信頼し、神さまを信頼し、イエスさまの救いのしるしをしっかりとつかまえて、 神さまに結びつくことが、人間関係改善の――つまりは人生の諸問題解決の――第一歩なのだ。 私は、そんな風に思うのです。 ああっ、また説教くさいメールになってしまったっ! ごめんなさい。 いつも、私の話を聞いてくださってありがとうございます。 最近のあなたは、いかがですか。 体調はどうですか。忙しいですか。 夏の予定はありますか。 ぜひ、教えてくださいね。 ではまた。(にっこり) ================================================ 結城浩 [Letter] の登録ユーザにお届けしています。 登録や解除は http://www.hyuki.com/letter/ から。 ================================================