リコーダーと浴衣

夢の中の対話シリーズ

結城浩

ゆったりした仮想キャンプも、変化がないと飽きてくるもので、今日はなんとなくぼうっとして過ごしている。

もうすぐ夕方だ。ライティングデスクの上に乗っていた館内のパンフレットをめくっていると、小さな音楽ホールがあることに気が付く。催し物がないときなら、申し込めば使えるらしい。気晴らしに持ってきたリコーダーを吹けるかもしれない。フロントに電話してみると、今日はずっと使ってよいとのこと。さっそくリコーダーと楽譜を持ってホールに向かう。

係の人から諸注意を受けたあと、ライトをつけて舞台にのぼり、一人演奏会である。舞台にはグランドピアノが一台と、譜面台が何本か置いてある。 呼吸を整えて、まずは暗譜しているバッハのメヌエットを吹いてみる。…ああ、よく響く! 感激しちゃうなあ。ちょっと興奮しながら持って来た楽譜を開き、テレマンのソナタや、サンマルティーニの独奏曲などを楽しむ。ヴィヴァルディの「忠実な羊飼い」を吹きながら、伴奏がないのはちょっとさびしいなあ、と思っていると、客席のほうから、

「ピアノ譜あるなら、伴奏できますが。」

という男性の声が聞こえた。

私はびっくりしながら「ええ、ありますよ。お願いできますか。」と答える。

「オーケー」と言いながら、ひょろっとした体型の、メタルフレームのめがねをかけた男性が舞台横の階段から上ってきた。何だかとてもうれしそうににこにこしている。

「ピアノを弾こうかなと思ってのぞいたら、きれいな笛の音が聞こえたので、声かけちゃった。これ、ブロックフレーテ?」と男性が私のリコーダーを指差す。

「ええ、そうです。伴奏、お願いできますか。一人で吹いていると、やっぱり厚みがなくって。」私は彼に伴奏譜を渡す。

「どうも、はじめまして。私はメロード。あの…仮想キャンプに?」と彼は言う。

「ええ、そうです。キャンプの参加者です。はじめまして、結城と申します。」と私は答える。

メロードさんは、ピアノの音を試した後、伴奏譜をちらっと見て「初見だけど、たぶん大丈夫。さっきくらいの速さでね。」と言う。

私は「じゃあ、アーの音をお願いします。」と言って音あわせをする。

* * *

それから私はメロードさんに伴奏してもらって、持ってきた楽譜のうち5, 6曲を楽しく合奏した。メロードさんはとても演奏がうまくて、ときどき伴奏をアレンジして盛り上げたりした。とても楽しいひととき。 その後、メロードさんがソロで数曲弾く。ショパンの何か(曲名を忘れてしまいました)と、ジャズっぽい曲。

私が拍手をすると、客席からも拍手が聞こえる。見ると、いつの間にか客席には若いお嬢さんが二人、浴衣姿で座っている。

この二人は同じ顔立ちをしている。たぶん姉妹。もしかしたら双子。二十歳過ぎくらいかな。二人ともまったく同じスタイルをしている。淡いブルーの色合いの涼しげな柄の浴衣である。ゆかた?

「拍手どうも。でも、そろそろ《演奏会》はおしまい」とメロードさんが言う。

すると二人はそろって立ち上がって、私たちのほうに来てお辞儀をする。

「私はナル。素敵な演奏会をありがとうございました。」と左側の女性が言って微笑む。

「私はニル。リコーダーとピアノのリサイタル?」と右側の女性が言って、くすくすっと笑う。

二人があまりにも似ているので、思わずじっと見てしまう。うーん、間に鏡を置いてみたくなるような。結い上げた髪のうえの白い髪飾りも、二人が並んだときにちょうど面対称になるような位置に付いている。

ホールを片付けて、係のおじさんにお礼を言った後、私たち4人は最上階のレストランに向かう。いっしょに食事にしようと、ナルちゃんとニルちゃんが提案したのだ。レストランは意外に混んでいた。もう外はすっかり暗くなっている。

* * *

ニル「よかったわね。窓際の席がとれて。」

ナル「そうね。」

結城「メロードさん、さっきはありがとうございました。おかげさまで、とっても楽しい演奏会になりました。」

メロード「本当はハープシコードのほうが合うのかも。それからビオラ・ダ・ガンバなどが入れば、もっと広がる?」

結城「そこまで合わせるなら、もっとちゃんと私が練習しないとだめですね。気が向いたときに吹くくらいで、きちんと練習していないので、知っている曲しか吹けないんです。」

ナル「結城さんはいつくらいからリコーダー吹いているんですか。」

結城「アルトを吹き始めたのは中学校のころからです。マニアックな先生がいて、いろいろとみっちりと教えていただいたんです。リコーダーってハンディな楽器ですよね。音色も気に入っていて、自分の性格に合っているんです。」

メロード「あ、私のピアノもそれに近いかな。性格に合っている。」

ニル「自分の性格に合う楽器…。」

ナル「自分の性格に合うプログラミング言語ってあるんでしょうか。」

結城「うーん、どうでしょうねえ。」

メロード「なんとなくHoly Warsの匂いがする。」

ニル「Holy Wars?」

ナル「『エディタの好みはviかemacsか』とか、『インデントは2タブか4タブか』とか、『コマンドラインかGUIか』といった、議論をはじめちゃったら主観的な応酬がはじまって収拾がつかなくなる話題、ってことよ」

ニル「ふうん。よくわかんないけれど、聖戦、だなんておおげさな。」

* * *

ナル「今回の仮想キャンプで、私が関心を持っているのは、どのプログラミング言語を学んだらよいか、という話題なんです。」

メロード「それは、初心者が?」

ナル「えっと、まあ、そうかしら。学校でコンピュータの授業を受けて、基本的なことを学んだとします。将来のためにプログラミングをもっと勉強したいと思い、インターネットであちこち見ていると、プログラミング言語にもいろいろな種類があるらしいと思いますよね。たとえばBASICやCやC++やEiffelやJavaやLispやPerlやPHPやPythonやRubyやSchemeなどが。」

ニル「たくさん並べたわね。簡単な順?」

ナル「(にっこりして)アルファベット順。」

ニル「HTMLっていうのは?」

ナル「それはマークアップ言語。プログラミング言語とはちょっと違うよ。」

ニルちゃんはその返事を聞いて肩をすくめる。

結城「確かにプログラミング言語は無数にありますよね。どこかにいろんな言語でHello, Worldを表示するサイトがあったような気がします。」

ナル「そういうたくさんの言語があったら、普通は迷いますよね。自分はどんな言語を学べばいいんだろうって。メロードさんや結城さんは迷いませんでした?」

メロード「仕事ではたいていCだし。趣味ではたいていRubyかな。Schemeもいいね。Javaは嫌い。」

結城「どれを学ぶかで迷った経験はあまりないかもしれません。私は仕事では…といっても仕事と趣味の境界はあいまいなんですけれど…JavaとPerlがメインですかね。Cでも書きますけれどね。」

ニル「わたしは日本語がメインね。」ニルちゃんは、くすくすと笑う。ニルちゃんの方が妹のようだ。

ナル「ニルは、それでいいんだけどさ。…仕事だったら、言語を指定されるから、あんまり迷わないのかなあ…ん、何いってんだわたし。」

結城「そういえば、ときどきメールや掲示板で質問されることはありますよ。どの言語を学んだらよいか、って。どう答えたらいいか困るんですけれど。学生さんだったら、まずは自分の興味を持てる言語をひとつマスターしておいて、それから順次いろんな言語を学んでおけばよいかな、と思うんですけれどね。」

メロード「私の考えも結城さんのに近いかも。IT…って言葉は嫌いなんだけど…まあ、IT業界だったら、新しい言語でも新しいフレームワークでも、とにかくちゃちゃっと学べて身に付けられるくらいの学習能力がないとやってらんないな。」

ナル「でも、普通の学生さんだったら、ゼミや試験やバイトがあって、プログラミング言語をいくつも学ぶなんてできるんでしょうか。」

結城「うーん、学生さんの能力や努力にかかってくるかもしれませんね。かける時間や熱意もね。言語を学ぶのに王道はないですし。さっきメロードさんもおっしゃってましたけれど、この業界は確かに変化が激しいです。プログラミング言語に限らず、学ぶことが多いですよね。しかもその学んだことがすぐに古くなっちゃう。学習能力の高さが重要だというのはいえると思います。」

ナル「プログラミング言語に限らず、学習能力が重要ってことですか。」

ニル「あー、わたしプログラマじゃなくてよかったわ。ナルちゃん大変ね。」

ナル「んもう、まぜっかえしてばっかり。」ナルちゃんは、ニルちゃんをぶつ真似をする。

結城「もっとも、すぐには古びない知識というものもありますよね。プログラミング言語の話からは離れちゃうんですけれど、たとえば論理的な考え方とか。うー、これは知識とは言いませんね。ロジカルに物事を分析する力。数学的な力。英語力。日本語力。それにコミュニケーションスキル。」

メロード「あ、日本語力に一票。うちの新入社員の日本語はひどい。メール一本ちゃんと書けない。事実が何なのか、他の人にどうしてほしいのか、その理由は何なのか、いつまでに必要なのかというのをきちんと表現できない。支離滅裂な論理を展開した文章を読んでいると、この人の書いたコードも大丈夫かな、と思えるほど。」

結城「ずいぶんちからが入ってますね。」

メロード「いや失礼。つい。」

ナル「ほらね。『日本語がメイン』なんて恐ろしいこと言うもんじゃないわよ。」

ニル「うー、やられたー。逆襲ー。ぐえー。」

ナル「話がもどっちゃうんですが、そういう変化が激しい業界、ずっと勉強していなきゃいけない業界ってつらいんじゃありません。」

メロード「うー、私は慣れちゃったな。そういうもんだと思っているし。勉強、上等。」

結城「変化が激しいということは『イキがいい』ともいえるんですよ。いろんな変化があって、そこにいろんなチャンスが転がっている。面白い人が集まり、面白い仕事が動いている。それは、ITに限らずどんな業界でもそうじゃないでしょうかねえ。」

ナル「ふうん。それはそうかもしれないんですけれどね…。」

* * *

メロード「ところで、さっきから気になっていたんですが、お二人は、なぜ浴衣?」

ナル「それはやっぱり…。」

ニル「…様式美ってやつですよ。様式美。」

メロード「様式美?」

結城「どういうことですか?」

ナル「え、知らないんですか?」

ニル「もうそろそろよ…ほら!」

ニルちゃんが窓を指差す。

すると、ドンという音とともに、真っ暗な夜空に大きく美しい光の輪が広がる。

「今晩は、花火大会なのよ。」ニルちゃんはそう言って、くすくすっと笑った。

(2004年7月24日)