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こころとは何なのか? - 現実逃避気味に駄文を書く。

現実逃避気味に駄文を書く。

 ある人の日記の中に、こころがすべてのものにあると考えるのはなぜか?という
 問いがあった。
 以下の私の思考過程である。

 私は最初、こころ=脳 という図式しかなかった。つまりこころは考えであり、
 脳死状態は、こころがない。つまり生きている意味がない。という結論であった。
 「あの人が好きだ。あの人のこころの中が知りたい。」
 という意味のこころは、あの人が考えていることが知りたいと等価である。
 そのような思考では、いつまでも万物にこころが宿るという結論にいたれない。
 なぜならば、「石が考えるか。物はなさんやろ。頭悪い奴」のような子供の頃
 バカにされた結論にいたってしまうからだ。
 私はいろいろな経験を得て、自分が考えていることと、体が考えていることは、
 違うときがある。という結論を得た。
 ・そうだろうか?自分が考えていることは、多かれ少なかれ体の欲求だ。
  エネルギーが足りないから、ごはんが食べたい。とか。
  それら全てから離れた純粋に思考だけの存在はありえないと思う。

 涙を流すとき、感情に溺れて、涙がでるときと、本能が恐怖を感じ、思考とは別に
 涙が止まらなくときがある。その経験を得たとき、思考が発達していない動物が
 流す涙は、体全体が感じる感情なのだという結論を得た。
 こころとは、思考ではないものだと感じるようになったとき、学問が非常に意味の
 あるものとして体の中を流れた。
 こころが脳でないものとすると、体を形成する物質は、各々がこころを持っている。
 みずからが行動をしている。
 しかしながらこの世の中は、混沌に向かう性質がある。無秩序に向かう方向性を持つ。
 熱力学などでは、エントロピーが増大すると言う。
 みんながばらばらになってしまうため、それをまとめるものがでてくる。
 つまり律するもの 脳が誕生する。
 万物がこころを持っていても、彼らは自我を持っているため、まとまりがない。
 そのため、いつしかまとめようと思うこころが宿った。
 まとめようとするこころは、生物を誕生させた。生物とは律するものが統治する集合体
 である。 
 ここで、こころがどんなものかを考えると、全体で共有する意思なのかと考えるように
 なった。つまり空間の隔たりがないもの。時間を超えるもの。というものである。
  
 こころは、言葉でなく、思考でなく、また目に見えるものでもない。聞こえるものでもない。
 私たちは、空間に情報を載せることを知っている。目に見えない空間を情報が飛び交って
 私たちは、電話をする。私たちは、それを私たちに伝えるものに変換することによって
 情報を得ている。ここでは音に変換している。
 私たちは、そのような情報がスピーカや声帯という振るわせるものがないと発することが
 できないことを知っている。
 でも、伝わっているのだ。つまり変換できないために、感じることができていないだけで、
 私たちは多くのものを共有しているのだ。自然はそれを感じることができる。
 
 強い思いは、伝わるかも知れないとつくづく思うことがある。
 なぜか 夢を見るときや、涙が出るときがあった。
 そんなとき、駆けつければ、そのような出来事が起こっていた。
 今、現在そのようなことはなくなった。
 学問を学んでいくうちに、私は何も知らなかったことを思い知らされた。
 何も分かっていないのだ。
 もしかしたら、つねに伝えられているものがあるのかも知れない。
 でも、それを感じることができていないのかも知れない。
 それはさびしいことだと感じるようになった。
 まだまだ、勉強しなければならない。電磁波が光がなんなのかが分かったとき、
 人生の幕を下ろしてもいい。もう少しだけ時間がほしい。