自分に正直であれ
- Intellectual Honesty -

夢空間への招待状

結城浩

前略

お元気ですか。この間はお手紙をありがとう。返事が遅れて申しわけない。私もずっと気になっている話だったから、つい考え込んでしまったんだ。今回のこの手紙も考えながら書いている。

「プログラマになりたい」

君は手紙をこう書き出していたね。その後に書かれている「やりたいこと」をまとめてみると、プログラマ、システムエンジニア、システムインテグレータ、…何でもよいが、とにかくコンピュータにまつわる仕事を生業としていきたいという決心だと私には感じられた。そして君の疑問がこんな風に続いていた。

「でも、自分に出来るだろうか。どうしたらいいんだろうか」

君のこの疑問(それとも不安?)すべてに答えることは私にはできない。けれど、何かヒントになることがあるかもしれないから、思いつくまま書いてみることにする。

これからプログラマになる勉強をはじめようとする人はきっとまずコンピュータの入門書を読むだろう。それからプログラミング言語を何かマスターしようとする。自分でコンピュータを買っていじってみるのもとてもいいことだ。

けれど、それだけでは不十分だ。若いうちにできるだけやっておきたいことはたくさんある。日本語と英語の力をつけること、数学的な素養を身につけること、論理的な思考力を伸ばすこと、などだ。

方法はいろいろある。学校の勉強をきちんとやる。書店で適切な本を買って読む。専門学校の門を叩いてみるのもよい。何でも積極的にどしどしやることだ。

 * * *

ところで、どうしても足りなくなる栄養素がある。それは「プログラマが持つべき心構え」を学ぶことだ。書店の本棚を見ればわかるように、プログラマをめざす若者をサポートするために膨大な本が出版されている。しかしその大半は技術書だ。プログラマの心、プログラマの精神について書かれた本はと言えばほとんどないのが実情だ。ワインバーグの著作くらいだろうか。例えば共立出版から出されているワインバーグの「スーパーエンジニアへの道」(木村泉訳)などは難しいかもしれないが、読んでもいいと思う。

ワインバーグは有名だから、ここではもう少しマイナーな本を一冊紹介しておこう。みすず書房から出版されているP.B.メダウォー「若き科学者へ」(鎮目恭夫訳)だ。私はこの本を強く勧めたい。

タイトルからわかるように、この本はプログラマ向けに書かれた本ではなく、若い科学者向けに書かれたものである。でもその心構えについてはプログラマも科学者もほとんど違いはないといってよいように思われる。「科学者になるのに確かに不適な特性の一つは、手仕事を卑しいとか劣等だと思うこと…」(p.14)などというくだりは、「科学者」を「プログラマ」に置き換えてもまったく正しい。

この本の中から一つだけ、とてもとても大切なことを君に伝えておこう。それはこの本の著者が「どんな年齢のどんな科学者に対しても、次の言葉以上にいい助言を与えることはできない」としている言葉である。それは「ある仮説を真であると信じる気持ちの強さは、それが真であるか否かには何の関係もない 」(p.51)ということだ。わかるだろうか。自分の信念は、実際の真理とは何の関係もないということだ。自分がこうではないかと信じてきた仮説が反証されたとき、それをごまかしたりしてはならないということだ。真理に対して謙虚であれ、とも言えるし、自分に対して正直であれ、とも言える。

年長者が若者に与える助言というのは昔から変わっていないことに気がつく。「ハムレット」第一幕第三場で、旅に出る息子に対してポローニアスが息子に与える助言も「汝自身に正直であれ」であった。

陳腐で、真面目くさっていて、つまらなく感じるかもしれないが、私はここで君に助言をするとしたならば、同じことを言わざるを得ない。自分自身に正直であれ、とね。

それでは、また。

(Oh!PC、1993年10月30日)