「あー・うん」と「あー・もー・ふー」

結城浩

2000年7月18日

朝、喫茶店で書籍原稿の執筆。とてもよい。 いろんなことがあって、 頭はごちゃごちゃしているのだが、 手を動かせば原稿は進んでいく。 すでに書かれた原稿を丁寧に読んでいくと、 自然と次に書きたいこと(気持ちの上では「話したいこと」)が 浮かんでくるので、手におまかせしてひたすら書いていく。 書き書き。

マラソンと似ている。 中学時代、高校時代とも長距離走が好きだった。 どんどん走っていく。喉が乾き、わきばらは痛いが、どんどん足を進めていく。 一歩進めばそれだけゴールが近づく。時には機械的に足を進める。 いや、足が進んでいくのにまかせる。 ゴール! 草むらに転がる。空が青い。風が過ぎていく。 あの、スタートからゴールまで走った時間は、もう私のものだ。

長男のおたふく風邪はもうすっかり回復。 お医者さんのおすみつきが出たので今日から幼稚園。 癒してくださった主に感謝して家族で祈る。 そう言えば、食事の前のお祈りのとき、 次男も両手を組むような感じで手をもぞもぞやって、 みんなのアーメンに唱和して「あー…うん」と言うようになった。 おっきなお口を開けて顔を上げ「あー…」とやって、 一息置いて顔をがくんと下げて「うん」と言う。 とても可愛らしい。

長男が小さいときは、本を読むのをじっと聞いたりするのが好きで、 言葉も比較的早かったが、歩き始めるのはおそめだった。 次男は逆で、ばたばた動き、どんどん歩き、 でも本をじっと聞いたりするのはあまり好きじゃないみたい。 音楽は好きで、曲が流れると手や足でリズムを取っている。 次男は台所にある食器棚の扉などをばんばん開いていくので、 子どもよけ用のロックをつけているのだが、 大人が使うときにいちいちはずさなければならないので、 面倒くさいこと限りなし。 大人は「あー・もー・ふー」状態になる。 (あー・もー・ふーというのは、我が家のいらいらの表現方法です。 「ああ、もう(やだなあ)」というのが「あー・もー」の部分で、 深くため息をつくのが「ふー」です。)

ちょっと話は代わりますが、目にとまった聖句。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に 会わせるようなことはなさいません。 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、 脱出の道も備えてくださいます。 (第一コリント10:13)