批判ということ

結城浩

高木浩光さんの2003年10月12日の日記には、八田真行さんの書く記事のスタンスに対する意見が書かれている。 八田さんの記事が「叩きのめす獲物を探して」いるようだという話題だ。 読み進めていくと、最後の方で高木さんは 「さて、ここでハタと気づかされたのが、じゃあ自分はどうなのかという自戒の念である」 と書いている。ふむ。 ここで自分に対して視線を向けられるというのが 高木さんのバランス感覚なのかもしれない、と思った。

それはさておき、高木さんの 「Web日記というもの自体が、そうしたあげつらえによって成り立っているようにも思えてくる」 という部分については全面的には賛成しかねる。 あげつらえや言いがかりは短期的には人の注目を集め、 Web日記を盛り上げるかもしれない。 しかし、その盛り上がりは長期的には続かないと思っている。 …いや、総論的な話はやめよう。自分の話を書こう。

私は、自分のWeb日記は可能な限り「あげつらえ」や「言いがかり」を排除したいと思っている。 批判したいときには建設的な批判をしたいと願っており、 また批判するときには皮肉っぽくではなく、ダイレクトに批判したいと願っている。 それに、どちらかというと批判よりは励ましを書きたい。 「あれはよくない」と書くよりも「これがよい」と書きたい。 「ここが悪い」と書くよりも「こうすれば良くなる」と書きたい。

日常の中から良いものを見つけ出すのは、とても大きな喜びを産み出し、 知的なチャレンジでもある、と私は思っている。

(2003年10月15日の日記から)

豊かな人生のための四つの法則