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前向きに考えるということ。
物事がうまく行かないとき、思い通りにならないとき、 事実をねじまげることが前向きなのではない。
事実と評価は異なる。 自分をゆさぶる何か(事実)があったとき、 まず、それをよくない(評価)と感じている自分に気づくこと。 そしてそのよくない(と感じる)ものを、きっかけ、 トリガーとして利用しちゃうこと。 そのあたりにプラクティカルな解決の1つがあるように思います。
高いジャンプの前では必ずかがむもの。ピンチがチャンス。失敗は成功のもと。
もし神さまへの信仰があるなら、 さらに 「現在の状態を通しても、神さまの栄光が表されるように」 という発想の転換も大切なことですね。 神さまを信頼すること。神さまに委ねること。 委ね切れない自分をも委ねてしまうこと。
単なる否定的な言葉、破壊的な言葉、つぶやきとためいき、 は物事の解決にはならない。気晴らしにすらならない。 愚痴や後悔で人生を埋め尽くすには、人生は短すぎる。
後悔。 「あんなに後悔ばかりしなければよかった」というのは後悔の再帰呼び出し。 そんな自分を笑い飛ばし、次に進もう。今日を歩もう。
もちろん「前向きな考えなんか出来れば苦労はないよ」という意見もあるでしょう。 特に、気圧が低いときや、お腹がすいているときや、睡眠不足のときにはそう感じる。 習慣の力も大きい。つい愚痴を言う。つい人のせいにする。つい状況のせいにする。 つい自分を責める。つい、つい、つい…。
どうせ文句をいうなら、 徹底して真剣に、神さまに訴えるというのもよいかもしれない。 いわばゲロを吐くような祈りとでもいいましょうか(失礼)。
自分のちっぽけな枠の中に神さまを押し込み、 自分のちっぽけな箱庭の中に自分を押し込み、 あいちゅが悪い、こいちゅが悪いったってしょうがないよね。
あいちゅも こいちゅも ゆるしちゃえ。
ゆるしたもん勝ち。
さあっ、今日も行こう!
(2002年4月10日の日記から)