十字架の比喩としての幕屋

結城浩

幕屋について。 新約聖書のヘブル人への手紙の9章を読むと、 比喩としての幕屋の話が登場する。 はじめてこの霊的な事実を知ったときには、 驚きと感動があった。

「幕屋」は旧約聖書出エジプトに登場する、礼拝の儀式などで使われる場所。 幕屋は全体をテントのようなもので囲われているものだが…とここですべてを説明することは できないのではしょることにする(幕屋の記述は出エジプト25章から続いている)。

幕屋の前の方には「聖所」と呼ばれる場所があり、 その奥には垂れ幕の向こうに「至聖所」と呼ばれる場所がある。 この至聖所に入ることができるのは「大祭司」だけであり、 入ることができるのは「年に一度」で、 そのときは民がおかした罪のための犠牲(身代わりのいけにえ)の「血を携える」ことになっている。

ヘブル人への手紙では、この幕屋を「比喩」だと述べる。 比喩? つまり、幕屋は、例え話であり、別のものの説明なのである。 別のものとは何か。イエスキリストの十字架である。

大祭司としてのキリストは、 生涯に「たった一度」だけ(そしてこの全宇宙の歴史としてもたった一度だけ)、 十字架にかかった。 そして全人類のおかした(おかす)罪のためのいけにえとして、 自分自身の「血を携え」、天という本当の聖所に入られた。 旧約の「幕屋」は(そして幕屋にかかわるさまざまな規定は)、 このキリストの十字架とそのあがないの比喩なのである。

文章で何かを説明するとき、例え話や比喩を用いる。 比喩は説明したい内容そのものではないけれど、 説明したい(そして読者に理解してもらいたい)構造がよくわかるように構成される。 特に説明したい内容が複雑な構造や多次元的な意味を持っている場合には、 比喩を用いることによって、その複雑さのある一面にスポットをあてることができる。

神さまが用いた「幕屋」という比喩は、 キリストが大祭司であると同時に、 罪をあがなう身代わりの犠牲であることを示している。

(2000年4月11日の日記から)

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