読みやすくてわかりやすい説明文が大好き

結城浩

今日は「はじめに」の部分の章立てのところを書いた。 各章の内容を一言二言で説明する。 文章は、短く書くのは難しいものだ。 ていねいに、ていねいにね。 書いているうちに、より自然な話の流れを見つけ出すことが多いので、 その流れにしたがって、章立てを微調整する。 章のタイトルも大事だ。

それから最初の章を書き進めてみる。 すでにブレーンストーミングで書き出した題材のメモが最初の章のファイルにまとめてあるので、 それを見ながら、ストーリーを組み立てていく。 扱っている題材を読者がまだあまり知らないことをよく思い出し、 読者の気持ちになって、自然な流れになるように書き進める。 読者が道を見失わないように道しるべとなる小見出しをつけていく。 図が必要そうな部分には「ここに図」などとメモを書いておく。 まだ細かな文章の誤りを直したりはしない。 いわばコンテの段階なので、文章の「てにをは」に気をつかわず、 とにかく一気に書いてしまう。 とはいっても、文章の誤りは気になるので、ついつい直してしまうけれど。

全体を見渡した構成をするのは頭がすっきりしている朝や午前中がよい。 頭のキャパシティに余裕がないと、全体を見渡すことができないからだ。 それから、図を練るのは夕方から夜のほうがよい、と経験的に感じている。 頭のキャパシティに余裕があるときに図を練ると、複雑すぎる図になってしまうからだ。 図は何かを説明するものだ。説明したいポイントが自分でわかっていないと、 適切な図を描くことはできない(当然のことだ)。

私は、読みやすくてわかりやすい説明文が大好きだ。 そういう文章を読むのも好きだし、書くのも好き。 読みやすい文章を見つけたときには、 どうしてその文章が読みやすいのかをじっくり研究する。 でも、なかなかその秘密を伝えるのは難しい。 さまざまなものが微妙なバランスの上に成り立っている。 細部もよくできていて、全体もよくできているときに、 読みやすくわかりやすい文章になるからだ。 それはほいほいと「盗む」ことはできない。 毎日、毎日、愚直に、素直に、自分の頭で考えて手を動かして、 実際に書いてみて、読み直してみて、また書き直してみて、また読み直してみて、 全部捨てて最初から書き直してみて、 …というのを繰り返していくしかないのだろう、と思う。

そういえば、以前、村上春樹の紀行文を研究したことがある。 中華レストランのバーミヤンで鶏のピリ辛炒めを食べてビールを飲みながら、 ボールペンで文庫本に書き込みをしていったのを「研究」などと 呼んだら怒られるけれど。 ともあれ、単語の使い方や、文章同士の関係を調べてみて、 とてもよくできているのに驚いたのを記憶している。

本屋さんで、 読みやすくてわかりやすい本に出会うと、 とてもハッピーな気持ちになる。 読みやすくてわかりやすくて、 さらによい内容だったら最高ですね。

さあ、神さまに祈りつつ、仕事仕事。

(2002年10月4日の日記から)

豊かな人生のための四つの法則