今日という日、あなたは何を信じていますか

結城浩

今日という日。

今日という日、あなたは本当のあなたらしく生きていますか。 神さまがあなたを作られました。 神さまがあなたを作られた、その目的に沿ってあなたは生きているでしょうか。 愛に満ち、喜びに満ち、神の命令に従って、朽ちない宝を天に積んでいますか。 聖書の御言葉を読み、日々の祈りを行い、イエスキリストを主と信じているでしょうか。 堅い信仰を保ち、イエスキリストは私の主です、と告白しているでしょうか。 神を信じ、イエスの十字架のゆえに人を(そう、あの人を)ゆるしているでしょうか。 無用な争いごとを避け、人の目ではなく、神の目に正しいことを目指しているでしょうか。 汚れたことから身を避けているでしょうか。 人の評価、この世の基準、世俗的な価値観で揺さぶられてはいませんか。 この世でもっとも大切なことは何でしょう。 あなたが一番やるべきことは何ですか。今、やるべきことは何でしょう。 それに向かって、主の力を信じつつ、歩んでいますか。

やたらに動き回ってはいませんか。 神の平安のうちにありますか。 無用な焦りを、何かをしなくてはという思いでふらふらしてはいませんか。 ゆれる舟の中でイエスさまは眠っておられました。 休むべきときにきちんと休んでいますか。

自分の頭で考えた自分の姿、いわれのない焦りでうろうろしていませんか。 名誉が何でしょう。人の評判が何でしょう。富が何でしょう。 人が何と言おうと、この世が何と言おうと、 はっきりとした信仰の土台に立って歩んでいますか。 永遠に変わらないものは何ですか。 私たちの主、イエスキリストではありませんか。 あなたは、イエスキリストに人生の土台を置いていますか。 あっという間に失われる、崩れ落ちていく、流れ去っていくものの上に自分の大事な大事な人生をたてようとしては いませんか。 人を愚かだと笑いつつ、自分も同じことをしていませんか。

知識を誇ってはいませんか。 能書きや小理屈をひねり出してせせこましい世界に満足していませんか。 人をおとしいれたり、人を馬鹿にしていませんか。 傲慢な思いにひたっていませんか。 いつも身を低くし、謙虚な思いをもって、 他の人を自分よりも賢い者だと理解していますか。

たった一人でいるときも、神に向かっていますか。 神さまがこちらへ行け、とおっしゃったときに「はい」と従っていますか。 自分のプライドを守るあまり、判断を誤ってはいませんか。 「くやしいから」といって本来の道からはずれて歩んでいませんか。 「見返してやる」ために馬鹿なことをしようとしてはいませんか。 あなたは今というかけがえのない時を何に使おうとしていますか。 あなたがやろうとしていること、やっていることは、 神さまに喜ばれることでしょうか。

どうせ自分にはできないからとあきらめていませんか。 あきらめた、と言いつつ、いつまでも未練を残していませんか。 あなたはいったい何をしているのでしょう。 あなたは明日この世を去るかもしれない。 今日はあなたの最期の日かもしれない。 あなたはそれでも悔いがありませんか。

イエスキリストを信じるときは今しかありません。

自分の心を埋め尽くしているあのことを、神さまに告白するときは今しかないのです。

イエスキリストは他の誰のためでもない、あなたのために十字架にかかったのです。 あなたが気にしているあのことのために、十字架で血を流したのです。

イエスキリストを信じなさい。

イエスキリストは十字架で死んだだけではない。 死に勝利し、罪に勝利し、あなたのために、すでに勝利をとられたのです。

イエスキリストを信じなさい。

誰も知らない「あのこと」を神さまに告白することができるのは世界中であなた一人しかいない。 あなた自身の「信仰告白」ができるのは世界中であなた一人しかいない。

人とぶつかる、人とうまくいかない、人から責められる、人から誤解される、人から裏切られる…。 それは人間関係につきものです。なぜでしょうか。 それは人生の目的が「愛」であり「ゆるし」だからです。 この世は愛の練習場。ゆるしの練習場です。 あなたがおかれたその特別の場所で、特定のあの人をゆるす練習が必要なのです。 われらの主、イエスキリストに祈りつつ、イエスキリストを信じつつ、 あの人をゆるさなければならないのです。 あの人をゆるし、必要なら戒め、必要なら仕え、 必要なら誤解を解き、あるいは誤解に耐えなければなりません。 イエスキリストも、あなたと同じ道を通られました。 イエスキリストも、あなたと同じように人から責められ、いわれのないことで誤解され、裏切られ…。 しかし、イエス様は、そのような誤解に耐え、裏切りに耐え、耐えただけではなくゆるし、 ゆるしただけではなく、その相手の救いのために自分のいのちすらささげたのです。 そこに本物の愛があります。 私たちはその愛に向かわなければなりません。 もちろん、私たちの力でそのような愛に至ることは不可能です。 しかし、イエスさまを信じるとき、イエスキリストが私たちのうちに住まわれ、 私たちは内側から変えられるのです。 もはや私たちが行動するのではなく、イエスさまに導かれて歩む人生がはじまるのです。

What would Jesus do? (イエスさまだったら、どうするだろう?)

あなたの立場に、あなたの状況にイエスさまが置かれたなら、 イエスさまだったら、どうするだろう? そのように私たちは考え、祈り、行動しましょう。

この世の人生は短い。 短いけれど、苦労はたくさんあります。 それぞれの立場、それぞれの人生に苦労はたくさんあります。 ちょっとしたことであっても、私たちの心はそれでいっぱいになってしまって、 他のことを考える余裕がありません。 落ち着いて考えることができません。 まず、神さまに心を向けましょう。 問題に心を向けるのではなく、イエスさまに心を向けましょう。 あなたの堅い心を大きく開き、イエスさまに来ていただきましょう。 あなたの心をいま、悩ませている問題は何ですか。 胸がふさぐような気持ちになっている原因は何ですか。 それを、まさにその問題を、神さまの前に持ち出しましょう。 イエスさまにゆだねましょう。 問題だけではない。悩みだけではない。 あなた自身を、イエスさまにゆだねましょう。 そのとき、神さまに導かれる人生がスタートするのです。 問題を自分の小さな手でにぎりしめるのをやめましょう。 堅く握った手を開き、その開いた手を上に上げ、神さまに向けましょう。 両手を高くあげ、神さまに叫び求めましょう。

あなたの信仰はどこにあるのか。恐れるな。 どんなことがやってきても、たじろぐな。

ただ、王の王、主の主である、イエスキリストを信じていなさい。

ハレルヤ!

(2000年10月22日の日記から)

豊かな人生のための四つの法則