イエスさまはあなたといっしょにいましたか

結城浩

「この人も、イエスといっしょにいました。」 ところが、ペテロはそれを打ち消して、 「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。 (ルカ22:56,57より)

ペテロはイエスさまといっしょにいました。 インマヌエルなイエスさまはペテロといっしょにいました。 でも、イエスさまがつかまった後、 ペテロは「あの人を知りません」と言いました。 ペテロは以前「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、 死であろうと、覚悟はできております。」と言っていました。 でも、いざ身の危険が迫った環境に置かれ、 「この人も、イエスといっしょにいました」と言われたとたん、 ペテロは「あの人を知りません」と答えてしまいました。 しかもペテロはこの後二度、 合計三度もイエスさまのことを知らないと言うことになります。

いざとなったら、こんな風になってしまうのが人間の姿。 これは本当に人間の真の姿のように思います。 いざとなったら自分の過去の言葉を否定し、 過去の自分の信念、信仰、生き方を否定する。 自分を愛してくれた存在を否定し、 自分の環境を否定し、 自分のすべてを否定する。 それほどまでに弱い人間。 でも、これが人間の、ばけの皮をはいだ姿だと思います。

イエスさまの方からペテロを見捨てることはありませんでした。 イエスさまの方からペテロを拒否したり、否定することはありませんでした。 ペテロの方からイエスさまを拒否し、 ペテロの方からイエスさまを否定したのでした。

神が人を拒否するのではない。 人が神を拒否するのだ。

「死であろうと、覚悟はできています」と宣言することができたペテロですら こうだったのですから、私たちはなおのこと、 注意して神さまにつながっていなければならないと思います。 いざとなったらくるりとひっくり返ってしまう人間に望みを置くのではなく、 いつも共にいてくださる神さまに望みを置かなければなりません。

どこかで「あなたはイエスさまといっしょにいましたか」 「イエスさまはあなたといっしょにいましたか」と問われることがあるかもしれない。 そのときに「いいえ、私はイエスさまなんて人は知りません」と答えるのではなく、 「はい、イエスさまはいつも私といっしょにいました。いまも、いっしょにいます」 と答えることができるように。神さま、私たち一人一人をお守りください。

一言祈ります。

天の父なる神さま。御名を賛美します。
聖書の御言葉が開かれるとき、聖霊様が私たちの上に知恵を与えてくださり、
必要に応じた解き明かしがあることを信じ、感謝します。
どうぞ、弱い私たちをあわれんでくださり、
神さまを否む状況に陥ることがないようにお守りください。
「はい、イエスさまはいつも私とともにいます」
といつも告白することができるように、助けてください。

学校や職場、地域の活動、家庭の中にある兄弟姉妹のことを思います。
いつもイエスさまが兄弟姉妹と共にいてくださり、力を与えてくださることを感謝します。
思いがけないときに、イエスさまを証しするチャンスが訪れますが、
そのときに、自分の思いで語るのではなく、
ただ聖霊様が導くとおりに語ることができますように。
また相手の方の言葉に耳を傾けることができますように。
主が唇に御言葉を、心に愛を与えてくださることを感謝します。
あなたが語ってくださるのですから、私たちには不安や恐れはありません。
またその結果についても、すべてあなたに委ねますから、思い煩うことがありません。
ただまっすぐに証しすることができますように。

イエスさまのお名前で祈ります。

アーメン。

(2001年9月5日の日記から)

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