信仰が薄い私でも救われるのだろうかというあなたへ

結城浩

結城浩です。
メールありがとうございます。

イエスさまを自分の個人的な救い主だと告白し、
イエスさまを信じるならば、あなたは救われます。
これは聖書に書いてあることです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
(ローマ人への手紙 10章9節、10節)

通常、私たちが持っているのは、ほんの小さな信仰にすぎません。
信仰もまた神さまから与えられるものですから、
もしも自分の信仰が薄いというのならば、
そのことを主に祈り求めましょう。

ですから、神さまを信頼し、必要以上に恐れないでください。
でも、自分が「信仰深いものだ」と勘違いしているよりは
自分は信仰の薄いものだと思っている方が安全ではあります。(^_^)
それは、自分を偉いものだと思い込んだり、
人を見下したりする危険が少ないからです。
しかし、必要以上に神さまの愛を小さく見積もらないようにしましょうね。
そして、熱心に祈りましょう。

あなたはまだクリスチャンではないのかしら。
もしクリスチャンではないなら、下記のURLにアクセスして、
それを自分のこととして読んでみてください。
そして途中にお祈りがありますから、
それがもしも自分の気持ちを表しているなら、
あなたの口で祈りましょう。
それで、あなたはクリスチャンへの一歩を歩み出したことになります。

乱筆ご容赦ください。
では。
追記 ――

もしもあなたが「信仰が薄い自分」を見つめる癖を持っているなら、
自分から一度目を離し、神さまに目を向ける練習
も必要かもしれませんね。
聖書を読んで、神さまがどんな方かを知ること。
祈りを通して、神さまと直接交わりを持つこと。
神さまを中心にすることはとても大切です。
そう、神さまを中心に、イエスさまを中心にする。
それが「イエスは私の主(しゅ)」ということの意味なのです。

自分の性格、自分の性質、自分の欠点、自分の功績、自分の嗜好…
それらを認めることは大切なことですが、それとともに、
「そんな自分を生かしてくださり、丸ごと愛してくださる神様」
の方に意識を向けることはとても大切だと思います。

ですから、祈るときには、
自分の要求よりも先に、神さまを賛美し、
神さまをほめたたえるように心がけましょう。
聖書に書かれており、自分が理解している神さまのご性質、
それを一つ一つ数え上げ、自分の言葉で表現しましょう。

私たちは生きています。
いま、現在、流れている時間の中に生きています。
この命を与えてくださっているのは、神さまです。
それを感謝しましょう。
あなたの言葉で、あなたの口で「神さま、ありがとう」と言いましょう。
まわりに人がいて恥ずかしいなら心のうちで「ありがとう」と言いましょう。
今、一人でコンピュータに向かっているなら、
声に出して「神さま、ありがとう」と言いましょう。
いま、生きているのは、神さまが命を与えてくださっているから。
天地万物を作ってくださり、私たちを生まれさせてくださり、
いま、ここに生かしてくださる神さまに、
心をこめて「ありがとうございます」と言いましょう。

不平、不満、悩み、焦り、怒り、憤り、無力感、疲れ…
そういうネガティブなものにとらわれがちなら、
いま気になっているまさにそのことを、
神さまのところに持ち出しましょう。
そして、神さまにすべてをおあずけいたしましょう。

主は、いま、生きておられます。
主は、いま、あなたの祈りをお聞きになります。
心を主に開き、すべてを主にあけわたし、心を注ぎ出して祈りましょう。

私たちを愛してやまない救い主、
イエスキリストの御名によって。

(2000年7月12日の日記から)

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