| ホーム > 日記ダイジェスト > ゆるせない、という思いからの解放 | 検索 | 更新情報 |
|
|
|
「あいつは、ゆるせない」 「あいつだけは、絶対ゆるせない」 「あのことだけは、絶対ゆるしてやるもんか」 「ゆるせない思い」を握り締めているのは、自分の意志だ。 しっかりつかみ、 はなすもんか、放すもんか、絶対はなしてやるもんか。 ゆるすもんか、赦すもんか、絶対ゆるしてやるもんか。 しっかりつかんでいるのは「恨みの借用証書」だ。 わたしは、この借用証書をつかって、借金をとりたててやる。 わたしは傷ついたのだ。 わたしは傷ついたのだ。 わたしはあれほど傷ついたのだ。 この借用証書をもち、あいつの玄関先に立ち、 サラ金の取り立てのように、 どんどんどんどん玄関をたたき、叩き、たたきつづけ、 「かえせ」「かえせ」「もどせ」「もどせ」 とたたいてやる。たたいてやる。 私にはその権利があるのだから。 私には取り立てをする権利があるのだから。 この手につかんでいる借用証書のゆえに。 けれど。 自分が握り締めている「ゆるせない」という気持ち…。 それは、どこかのだれかが、あなたに抱いている気持ちそのままだ。 いつのまにか借用証書の相手の名前は、自分の名前に書き換わっている。 差し押さえの赤札は、自分のもっとも大切なものにはられている。 いつのまにか金額は自分では支払えないほどの高額に書き換わり、 それになにより、あまりにもぎゅっと握り締めていたために、 借用証書は汗じみた手にべっとりとはりついている。 まるで、自分の肉体と一体化するかのように。 イエスさまを呼び求めよう。 自分から、手を開こう。 自分から、借用証書を投げ捨てよう。 自分から、びりびりと破り捨てよう。 そして、かえって、相手のために祈ろう。祝福を。 もしも悪い相手なら、そこから立ち直ることができるように。 それで、責任はあなたから離れ、相手と神さまの関係に移っていく。 あなた自身の解放はそこから始まる。 わたしたちは、 人を計る「はかり」によって計られる。 人を計る「ものさし」によって計られる。 ゆるしましょう。 いま、すぐ、ゆるしましょう。 あの人を、あのことを。 何年も何年も恨みに思っているあの人を、 「ささいなこと」と口では言いつつ、何度も思い返すあのことを。 イエスさまのお名前によって、神さまの前に持ち出し、宣言しましょう。 「ゆるします」 「イエスさまの十字架のゆえにゆるします」 「感情は反対しますが、いまゆるすことを宣言します」 「いま、恨みの借用証書をやぶります(びりびり)」 ゆるしの宣言の後のことは、すべて神さまがなさってくださいます。 あなたが「あの人」をゆるすとき、あなたは本当に解放されます。 あなたが「あのこと」をゆるすとき、あなたは本当に解放されます。 イエスさまのお名前によって、 その「ゆるし」を宣言できるのは、 世界中でたった一人。 あなたしか、いないのです。
(2001年6月25日の日記から)