多くの人がなでることによって象の形が浮かんでくる

結城浩

2005年2月25日

Wikiではみんなでコンテンツを作る。 1つのコンテンツをみんなで作るから、意味的なconflictが表面化する。 ディスカッションを残したり、何らかのガイドラインを作ってまとめたりする必要もある(Wikipediaがよい例)。

ソーシャル・ブックマークではみんなでタグ付けをする。 タグ付けは個人単位で行われるから、意味的なconflictが表面化することが少ない。 多数の意見が共存しうる。 そのうちに、多くの人によってぼんやりと意味が浮かんでくる。 「群盲、象をなでる」ではなく、 多くの人がなでることによって象の形が浮かんでくるのだ(象の像だ)。

本人が象だと思っていても、多くの人のタグ付けによってねずみであることが判明したりする。 いくらコンテンツの作成者が「これは○○というジャンルである」といっても、 それを読んだ多くの人が「いや△△である」とタグ付けをするような例を想像せよ。

Wikiでもソーシャル・ブックマークでも、spamや荒らしは起こりうる。 spamはさておき、荒らしが起こりえない状況を作ってしまうと、面白い展開は望めないのかも。 それは、ちょうど、ゲーデルの不完全性定理と似ている(半分冗談)。

以上、忙しいのでメモだけ。