18年前の自分といまの自分

結城浩

おはようございます。
昨晩から雨が降ったり止んだりを繰り返しています。
あなたはいかがお過ごしですか。

18歳で一人暮らしをはじめたころ、手紙をよく書いていました。
Emailではなく、手書きの封書です。
書き出しはたいてい、
「いかがお過ごしですか。僕はいまこんなことを考えています…」
というものでした。

(今、あれが18年前だということに気がついて、
 ちょっと感慨にふけっていました)

昨日、4歳の息子がビデオをひっぱりだしてきて、
自分の赤ちゃんの頃(1歳)を見ていました。
「アンマ、アンマ、アンマンマ」と言いながら
ハイハイしているのを見て、息子は
「アンマ…」と赤ちゃんのまねをしていました。
自分の真似だから、そっくりです。

18年前の自分といまの自分で、
基本的なトーンは変わっていないと思うのですが、
キリストを信じる信仰が恵みとして与えられたこともあって、
私は18年前よりも今の方が自分のことを受け入れ、
愛しているように思います。
(ここでいう「愛している」は「ゆるしてやる」とほぼ同義です)

そして自分自身があまり「重たくない」感じがします。

自分がやってしまった失敗も、自分がなしとげたと思うことも、
自分の中にとどまらないからかもしれません。
失敗してしまったら、神さまに告白して、心から悔い改め、
イエスさまの十字架によりゆるしを受ける。
それで、どんな失敗も神さまとの関係においては解決。
自分が何かをなしとげたとしても、それは神さまに栄光を返し、
自分の手柄としないようにする。
(それをなすための機会や能力はすべて神さまから来たものだから)

そうして、さらりと、次に進み、
今日なすべきことを、感謝しつつやっていきましょう。

今日という日は、主が作られたもの。
今日という日を体験した人はまだ誰もいない。
神さまが素晴らしいことをなしてくださることを期待しつつ、
今日という日を神さまに喜びつつ、歩みましょう。