罪人の私をあわれんでください

結城浩

2000年11月5日

2000年11月4日に 『Java言語で学ぶデザインパターン入門』レビューアに初のメールを送付。 人数がちょうどよいくらいに収まってくれたし、 とても熱心な申し込みメールばかりが集まったので、 応募者全員にレビューをお願いすることにした。 結城は新しい本を書くごとに、何か新しい試みをするように心がけている。 レビューアを公募するのは 『Perl言語プログラミングレッスン』入門編の執筆のときにも行ったが、 今回はもう少しレビューアとのやりとりを増やしぎみにしようと思っている。 まあ、でも、いつも、自分の考えで進むのではなく、 祈りつつ、主の御心にそった方向に進むように心がけなくては。 どんなに人間の目によく見えることも、 聖書の神さまをないがしろにして自分勝手に進み始めたとたん腐り始めるものだから。

自分がいくら背伸びをしたとしても、自分の背丈の高さにしかならない。 しかし自分が身を低くし、神さまに高くしていただくなら、遠くまで見ることができる。 それはどんな仕事でもそうだし、救いへの道もそうだ。 自分の努力でよいことをしても(もちろんよいことはよいことだが)、自分の救いには何の役にも立たない。 底なし沼にはまった自分の靴を引っ張って、沼から抜け出すことはできないのだ。 抜け出すには外からの力が必要だ。

傲慢(ごうまん)や自己中心は誰でも陥るわなだ。 C.S.ルイスが「自分が傲慢になっているかどうかを調べるチェック方法」というのを、 『キリスト教の精髄』で書いている。 それはとても簡単だ。 「自分は傲慢ではない」と思っていたら、自分は傲慢なのだ (このチェックは他人に対して使うことはできない。 あくまで、自分に対してだけ使うこと)。

信仰を人と比較してはいけない。 私はあの人よりも信仰深い、と思ってはいけない。 自分の行いを人と比較してはいけない。 私はあの人よりもよい行いをしている、 あの人よりも教会の奉仕をしている、 あの人よりも献金をしている、 あの人よりも人に伝道している、 あの人よりも謙遜だ、 あの人よりもにこやかだ、 あの人よりも同情心がある、 あの人よりも家族を愛している、 あの人よりも霊的だ、 あの人よりも清い生活をしている、 あの人よりも、あの人よりも、あの人よりも、あの人よりも、私は…。 …もうそれはやめよう。

ただ、自分を省み、神さまに心を向け、こう言おう。 『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 (ルカ18:13) このような人が、神さまに義とされるからです(参照:ルカ18:10-14)。