感謝することの意味と意義

結城浩

2002年12月18日

レビューアのみなさんは、 よく私におつきあいしてくださいますねえ。 感謝しています。お祈りしてくださる方々もいらして、 とてもはげまされます。

休み休み仕事をしていたら、 あまりおてては痛くなくなりました。感謝します。

感謝する、って大事だなあ。

感謝しなさい。愛しなさい。ゆるしない。 …聖書を読んでいると、そういうメッセージがたくさん出てくる。 それに従順に従うことが大事なのかもしれないなあ。 そういう命令にさっと従うということは、 神さまにしたがっているということだよなあ。 それは幸せに直結しているように思う。 幸せを探している人はきっとたくさんいると思うけれど、 その答えは聖書に(つまり神さまの言葉に)ばっちりあるんだよなあ。 たとえ「感謝できない」という状況でも、神さまの言葉のゆえに感謝してみようとする態度。 「愛せない」と思っても、愛そうとしてみる態度。 「ゆるせない」と思っても、神さまの前で「ゆるします」と宣言する態度。 そういう習慣づけって大事だなあ。 最初はたいへんだし、常に・完全にやり続けるのは難しいけれど、 何度も何度も正しい道に立ち返って、 感謝し、愛し、ゆるす練習をしていると、 少しずつやりやすくなる。これは確かなことです。 しょっちゅう失敗するし、毎日のように落とし穴に落ちるんだけれど、 それでも。あきらめず。たんねんに。 感謝し、愛し、ゆるす。 自分を苦しめた人のためにこそ祈り、 自分に悪いことをした人のために祝福を願う。 それは、人間的には一見逆説的な行いなんだけれど、 そのとき、問題は自分の手からすっと離れていく。 うらんでいると、問題はいつまでも自分の手にへばりついたまま。 相手のために祈ると、問題は自分の手から離れ、 自分は呪縛から解放される。これが「自由」だ。 神を信じ、人を愛する。 神さまの命令に従い、人をゆるす。 そうすると、気持ちはすごく楽になる。 ゆるさないと、いろんな重たいものがどんどん自分の上に積み重なっていく。 積み重なって、積み重なって、そのうちに動けなくなる。 これが「不自由」だ。 一見、この「不自由」はうらんでいる相手から来ているように見える。 でも、それだけじゃない。 自由になる選択の余地は常にあるのだ。 相手をゆるすこと。愛する、まではいかなくても、ともかく「ゆるします」とかみさまに宣言する。 まずはこの一歩がとても大事だと思う。 いつだったか、夕方、家内が何かのことで私に怒ったことがある。 たしか私に悪いことがあったときだ。家内の怒りは夜まで続いていた。 でも、夜になって家内は私に「怒りすぎてごめんなさい」と謝った。 眠るまでに怒りを持ち込んではいけないというのは神さまの命令だから (ごめん、聖書の正確な箇所は覚えていないんですが)、 家内はそれに従って、私にわざわざ謝ったのだ。私が悪かったのに。 こういう家内の態度はすばらしいと思う。私はこういう女性をとても素敵だなあと思う。 歳をとってくると、だんだん頭も硬くなり、心も硬くなりがちだ。 だから、できるだけ若いうちに——というのはつまり「いま」ということだ。 これからの自分の人生を考えると「いま」が一番若いときだから——若いうちに、 神さまに従う練習をしなければならないと思う。 神さまを信じ、人を愛する。 感謝し、愛し、ゆるす。 人生山あり谷あり。忙しい毎日だし、いろんな出来事があって、泣いたり笑ったりする。 でも、大切なことは、そんなに多くない。 神さまを信じ、人を愛する。 聖書を読み、祈り、感謝し、愛し、ゆるす。 感謝されることではなく、感謝することを喜ぶ。 愛されるだけではなく、愛することを求める。 ゆるされることを願うだけではなく、喜んでゆるす。 そういうことの積み重ねが、本当に豊かな人生なのではないか、と思う。 でも。 私ひとりでは、そんなことはできない。 人間なら誰も、ひとりでそんなことはできない。 けれど。イエスさまがいらっしゃる。

感謝。

この日記を「いま」読んでいるあなたの上に、豊かな祝福がありますように。 天の窓が大きく開かれ、神さまからの愛が、あなたの上に注がれますように。 経済的な悩みを持っている人には、必要なものがすべて与えられますように。 孤独に苦しむ人には、神さまからの慰めがありますように。 病にある人には、神さまからのいやしがありますように。 進路に悩む人には、聖霊様の正しい導きがありますように。 聖霊様は私たちの人生を導いてくださる方です。 よき判断を、最善の時にすることができますように。 すべての問題、どんな問題も、栄光の主が完全な解決を与えてくださいますから感謝します。 一見、困難に見える問題であっても、そのことを通して素晴らしいことがなされることを 期待し、感謝します。 そうです。先取りして感謝します。 祈り求めることはすべてすでにかなえられたと信じます。 幸福な人生の鍵である「聖書」を、一人でも多くの人が手に取り、 開いて味わい、自分のものとすることができますように。 たとえ教会になかなかいけない状況にある人でも、 聖書を通して、御言葉に触れ、イエスさまのことをよく知り、 あなたからの「愛」のメッセージを受け取ることができますように。 主よ。いまクリスマスシーズンで、世は浮き立っていますけれど、 一人静かに祈るときを私たちにおあたえください。 あなたがこの世にこられたとき、 きたないきたない家畜小屋でお生まれになったことをいま思います。 主よ。私たちの心もまた家畜小屋のようにごたごたとして、 汚れにまみれています。主よ。どうか私たちのところに来てください。 主よ。いま心を開いて、心を大きく開いて、あなたをお迎えいたします。 イエスさま、どうか、どうか、私たちの一人びとりに、 正しい道をお示しください。御言葉の炎をもって私たちをきよめてください。 私たちが他の人と話すとき、メールを書くとき、どんな形であれ 人と対話するとき、私たちから出る言葉があなたに喜ばれるものでありますように。 私たちの口に、主がきよい言葉を与えてください。 主よ、感謝します。感謝します。 私たちが、遠くの人だけではなく、すぐそばにいる人にも愛を示し、感謝を表すことができますように。 自分たちによいことをする相手だけではなく、 わるいことをする相手のためにも祈ることができますように。 主よ、感謝します。

この祈りを、私たちを愛してやまない救い主、イエス・キリストさまのお名前で祈ります。 アーメン。ハレルヤ!