たとえば。私はあなたの声を知らない。けれども。

結城浩

2002年12月19日

たとえば。私はあなたの声を知らない。 あなたの歌声を知らず、あなたのささやきをしらない。 あなたの顔を見たこともなく、あなたのくしゃみを聞いたこともない。

けれども、わたしは、あなたのメールの言葉遣いを知っている。 あなたの句読点の打ち方をしっている。 あなたの半角と全角の使い分けをしっている。 あなたが段落を区切るときのキャラクタの使い方を知っており、 あなたがあの人を呼ぶときのイニシャルの使い方を知っている。

あなたがわたしに伝えてくれるのは、ただのビット列に過ぎない。 けれど。けれども。 そのビット列の何を1として、何を0とするかは、あなたの意志の下にある。 そしてあなたのその意志は、ネットワークを通じ、メールソフトを通じて、わたしに届く。 そんなのは単なる01に過ぎない、と愚かな人は決め付ける。 けれど、その01を決めているのは、送信者であるあなただ。

その01は、ネットワークをはるかに越えて、わたしに届く。 わたしのコンピュータを通して、わたしの目を通して、私の心まで届く。

わたしはあなたの声を知らない。 けれど、わたしはあなたの言葉を知っている。 あなたが今日、私に伝えたいと思った言葉を知っている。 わたしは、あなたのために祈ろう。 心をこめて、神さまに祈ろう。

あなたのうえに、神さまの祝福が豊かに注がれるようにと。

あなたのうえに、確かな信仰が与えられるようにと。