毎日見るのはどんなページ?

結城浩

2001年11月30日

インターネットでWebページを巡っていると、 いわゆる中傷ページのようなものにときどき出会います。 内輪の愚痴こぼしというものでもなく、 建設的な批判ページというのでもなく、 不愉快な「悪口」を書きつらねているページです。 はじめのうちはその毒を興味深く読むのですけれど、 読んでいるうちに気分が暗くなったり、 いやな気持ちになってきたりすることがあります。 こういうページは, 読まないほうが健康によさそうですね。

もちろん世の中には批判すべき行為や、 非難すべき、警告を発するべき事象というのはたくさん存在します。 それに対してきちんとした 批判を行っているページを作ることは大事なことです。 でもここで書いているのはそういう建設的批判のページではなく、 また少人数のグループで「○○って○○だよねー」という、 なかよしおしゃべりのページでもなく、 何というのか…ええと、 「この人は何を考えてこんな悪口だらけのページを書くのだろう」 と思うようなページのことです。

Webページは各人の作品ですから、とやかく言うのも詮ないことですが。 そういうページはこちらの心をいつのまにか毒してしまうので、 注意して避けたほうがよいなあ、と私は思っています。

一般論になりますが、悪いものをけなすことに力を使うより、 良いものをほめることに力を使う方が健康かな、とも思うのです。 悪いものは無数にあるので、題材に困らないというのはあるかもしれません。 良いものは少ないので、見つけるのは大変です。 でもみんなが「これは悪い」というものを見つけてきて文句を言い合うよりも、 「これは良い」というものを見つけてきて紹介する方が有効な時間の使い方ではないかなあ、 と思うのです。 そういえば、イエスさまの「主の祈り」も、まずはじめに神さまに言及していますね。 悪魔に言及するのは後の方。

ええと、これで話が終わったらつまらないので、 私がよく訪れるページが持っている特徴のいくつかを書いてみます。 これはすべてではありませんし、この特徴をもっていないページが悪いページだというわけでは ありませんので念のため。

更新頻度が高いページ。 例えば、毎日訪れると、何かしら新しいことが書かれているページは、 定期的に訪れたくなります。

その人なりの独自な視点を持っているページ。 書いている人が、自分の考えで書いているページは、 興味深く読むことができます。 たとえその主張が自分の考えと違っていても。 多少の毒があっても。乱暴な言葉遣いをしていても。

そこにしかない情報があるページ。 自分に必要な情報が、世界中でそのページにしか存在しなければ、 そこに行くことになります。

豊富な情報を提供しているページ。 いろんなページのいろんな情報を集めて整理しているページは、 実質的に役に立つので、自然とそちらに足が向かいます。

心やすらぐページ。 そこのページにいくとほっとする、気分が楽になる、リラックスする、楽しい、 そんなページはうれしいものですね。 これは情報量や更新頻度とは無関係。 1つだけ例をあげると、稲本喜則さんの「ひぐらし日記」。 私はここの日記に何度も笑わせてもらいました。 言葉で遊ぶ面白い話は特に好きです。

多様な人が訪れるページ。 自分が普段出会わない人がやってきていろんな意見を書いているようなページは、 うーん、なるほど、ということが多いものです。

健全なページ。 私はクリスチャンなので、キリストに対する正統的で健全な信仰を表明しているページはほっとします。 それにときどきはっと身を正すような文章に出会えたりして。

みなさんは、きっと毎日のように訪れているページがあると思います。 そのページを訪れているのはどうしてでしょうね。