本を書くということ

結城浩

2003年3月25日

[CR] 淡々と仕事。 原稿書き書き。 うう、どんどん原稿が長くなっていく。

以下、書きなぐりの文章で失礼。

私は話しかけるように文章を書いていくみたい。 話しかけるように文章を書く。 頭から順番に読み、読みながらそれを誰かに話しかけている。 読んでいるうちに「ここ、わかりにくそうだな」と感じる部分がある。 そこに加筆する。 そしてまた頭から順番に読んでいく。 また加筆する。 そういうことを繰り返していると、どんどん長くなっていく。 当然のことだ。 文章の量を減らすプロセスがないんだもの。 書き上げる最後のところで、枝葉を切り捨てるように文章を減らすことがある。 プラモデルでいうところの「バリ」を取るみたいだ。 校正の段階で少し減らすこともある。 論理がもつれている部分とか、自分の知識を誇るためだけに書いている部分などを減らす。 そういう作業をしていると、どんどん時間は過ぎていく。 文章を書くのは地味な仕事だ。でもとても面白く、チャレンジングだ。

毎月の連載記事を書くのと、本を書くのは似ているけれど違う。 連載記事は息を止めて書いているみたい。短距離走だ。 分量的には本の一章って、連載記事の一回分くらいだと思うけれど、 長距離走の一部として書いている。少なくとも書き下ろしはそうだ。 連載記事はけっこう冒険や実験もする。本はちょっぴりコンサバに。 …もちろん場合によるけれど。

本を出版するのは、一冊目が一番たいへんだ。 ほんとうに、ほんとうに一冊目はたいへん。 二冊目以降は(一冊目に比べれば)夢のように楽だ。 何が楽になるかというと、自分の中に生じる不安を吹き飛ばすのが楽になる。 「こんなに大変で、自分はやりとげられるだろうか」という不安に対しては、 「うん、大丈夫。こういう大変さはいつもと同じだ」 と答えられるようになる。 「こんなに一冊の本に時間をかけても大丈夫なのだろうか」という不安に対しては 「気持ちが前向きになっているから大丈夫。この時間は品質向上に必要な時間なのだ」 と自分に対して答えられるようになる。 いつも、祈りは必要だ。いつも、呼吸が必要なように。 それはそれとして、 二冊目以降、 自分の不安な気持ちをなだめるためのエネルギーを、 具体的な仕事に向けることができるのはとても楽なことだ。

一冊の本の7分目ほどで、何か大切なものがキラキラッと見えることがある。 本を書き始める前には知らなかった何か、 ささやかではあるけれど本質的な何かを見つかる瞬間だ。 それは著者にとって大きな報酬の1つだ。 物語をつかむ瞬間。 大きな喜びの瞬間。

でも、一番大きな喜びは、出版後にやってくる。 それは、読者から送られてくる「なるほど、わかりました!」というフィードバックだ。