人のことを祈るとき、相手を支配しようという誘惑に注意

結城浩

1999年8月21日

第2コリント1:24の御言葉を読みながら「信仰を支配しようとする者ではなく」という部分に私の目がとまった。 以前、英国旅行をしたときにクリスチャンのK夫妻のお世話になった。 「祈りの小部屋」について説明をしたところ、 夫人がすかさず「他の人を支配しようという誘惑から守られるように」と語られたのだ。 それはとても印象的だった。

人のことを祈るとき、人のお世話をするとき、人のために(と思って)何かをするとき、 相手をしだいしだいに「支配しよう」という気持ちにすべりこんでいくことがとても多いと思う。 相手のために何かをするとき「相手のことを自由に支配できる」権利を得たような気持ちになりやすいのだ。 これは非常に甘美で危険な誘惑である。 ここから逃れるよい方法の一つは「神様に栄光を帰すこと」だと思う。 自分の力でやった、私があの人のためにやった、私でなければできなかった… と思うときには危険な道に一歩踏み出している。 実際、その人に対してとてもよいことをしたとしても、 自分に栄光を帰すとき、それは危険な道だ。

どんな働きも、どんな小さなことも、 神様の恵みと許しがなければなされないのだ。 栄光を主に帰そう。