ゆるせない、という思いからの解放

結城浩

2001年6月25日

「あいつは、ゆるせない」
「あいつだけは、絶対ゆるせない」
「あのことだけは、絶対ゆるしてやるもんか」

「ゆるせない思い」を握り締めているのは、自分の意志だ。
しっかりつかみ、
はなすもんか、放すもんか、絶対はなしてやるもんか。
ゆるすもんか、赦すもんか、絶対ゆるしてやるもんか。
しっかりつかんでいるのは「恨みの借用証書」だ。

わたしは、この借用証書をつかって、借金をとりたててやる。
わたしは傷ついたのだ。
わたしは傷ついたのだ。
わたしはあれほど傷ついたのだ。

この借用証書をもち、あいつの玄関先に立ち、
サラ金の取り立てのように、
どんどんどんどん玄関をたたき、叩き、たたきつづけ、
「かえせ」「かえせ」「もどせ」「もどせ」
とたたいてやる。たたいてやる。
私にはその権利があるのだから。
私には取り立てをする権利があるのだから。
この手につかんでいる借用証書のゆえに。

けれど。

自分が握り締めている「ゆるせない」という気持ち…。
それは、どこかのだれかが、あなたに抱いている気持ちそのままだ。
いつのまにか借用証書の相手の名前は、自分の名前に書き換わっている。
差し押さえの赤札は、自分のもっとも大切なものにはられている。

いつのまにか金額は自分では支払えないほどの高額に書き換わり、
それになにより、あまりにもぎゅっと握り締めていたために、
借用証書は汗じみた手にべっとりとはりついている。
まるで、自分の肉体と一体化するかのように。

イエスさまを呼び求めよう。
自分から、手を開こう。
自分から、借用証書を投げ捨てよう。
自分から、びりびりと破り捨てよう。
そして、かえって、相手のために祈ろう。祝福を。
もしも悪い相手なら、そこから立ち直ることができるように。
それで、責任はあなたから離れ、相手と神さまの関係に移っていく。
あなた自身の解放はそこから始まる。

わたしたちは、
人を計る「はかり」によって計られる。
人を計る「ものさし」によって計られる。

ゆるしましょう。
いま、すぐ、ゆるしましょう。
あの人を、あのことを。

何年も何年も恨みに思っているあの人を、
「ささいなこと」と口では言いつつ、何度も思い返すあのことを。

イエスさまのお名前によって、神さまの前に持ち出し、宣言しましょう。

 「ゆるします」
 「イエスさまの十字架のゆえにゆるします」
 「感情は反対しますが、いまゆるすことを宣言します」
 「いま、恨みの借用証書をやぶります(びりびり)」

ゆるしの宣言の後のことは、すべて神さまがなさってくださいます。

あなたが「あの人」をゆるすとき、あなたは本当に解放されます。
あなたが「あのこと」をゆるすとき、あなたは本当に解放されます。

イエスさまのお名前によって、
その「ゆるし」を宣言できるのは、
世界中でたった一人。

あなたしか、いないのです。