仕事の前に祈る

結城浩

こんばんは、結城です。
いまは日曜日の夜です。
もう少しでテレホーダイの時刻です。
この週末はいかがでしたか。

私は、この土日はずっとプログラミング言語Perlに漬かっていました。
Perlの本の書き下ろし原稿を書いているのです。
いつもの通りプログラミング言語の入門書です。
入門書だから内容は簡単なのですが、
書くほうにとってはちっとも簡単ではないです(^_^;

難しい内容の本なら、読者の前提となる知識もそれなりにあるので、
説明を「はしょれる」んですよね。
でも、入門書ではそれはできません。

かといって一つ一つの専門用語を正確に解説していたら、
それは退屈極まりない厚い本になってしまいます。
相手にあまり知識がない前提で、
正確さを失わず、けれども退屈させずに説明する…
入門書を書くのって本当に難しいといつも思います。
(そういうのが好きなのですが(^_^)テヘ)

喫茶店に行って書き、家に戻って書き、
また喫茶店に行って書き、家に戻って書き、
というのを繰り返しています。
何とか山場を早く越してほしいものです。

まだ一冊も本を書いていない頃、
「本を書く」という仕事は、途方もなく難しいように感じられました。
はじめに書こうとしたのはプログラミング言語C++の本でした。
8割方書いたのですが、完成させることはできませんでした。
いまでもその原稿は取ってあります。
それは結婚前のことでした。

よき伴侶にめぐりあい、よき編集者にめぐり合い、
何冊か本を書きました。
読者からの好意的な葉書は何と大きな励ましか!
いまも、もちろん本を書くという仕事はとてもつらいのですけれど、
(とても、とても、とても、とても、とても、つらいのですけれど)
読者からの励ましが、大きな支えになっているように思います。
ああ、私のつたない文章でもよろこんでくださる人がいる、
と思うと、今日も仕事にむかうことができるのです。

つらいとき、というのは自分の方に意識が向いているときなのです。
「うまく書けなかったらどうしよう」
「不正確だと糾弾されるのではないか」
「間違ったこと書いたらどうしよう」
もちろんそれも大事なときもありますが、
仕事そのものではなく、自分のメンツとかプライドとかを守ろうとするとき、
すごくつらくなる。
当たり前ですよね。
仕事の質をよくしようとするのではなく、
自分の心を守ろうとしているのですから。
それは大変です。

だから、やはり、仕事の前には神様に祈ることが必要なのだ、
とつくづく思います。
いったん自分を捨てるために。いったん自分に死ぬために。
神様に意識を向け、読者のことを思い、
そして淡々と今日の分の文章を書き綴ればいいのですよね。

いつも私のひとりごとのような文章を読んでくださってありがとうございます。

あなたに読んでいただけて、この文章もしあわせです。
私もしあわせです。

では、おやすみなさい。
(にっこり)