Neko

結城浩

1998年5月17日 (日) 昼

礼拝が終ってから家に帰り、原稿を少し書く。 1時におなかが空いてきたので、回転寿司でお昼にしようと思い、外に出た。 ドアの鍵を閉めて振り返ると、そこに黄色い大きな猫が立っていた。

猫「こんにちは。お出かけですか」
私「う、うん。お昼を食べに」
猫「あらら。ご一緒してもいいかなぁ」

猫と肩を並べて横断歩道を渡り、 5分くらい歩いたところにある「くるくる寿司」に行く。 《ランチセット750円・ビール冷えてます》 というポスターを横目で見ながら扉を開き、のれんをくぐる。 猫も私の後についてのれんをくぐる。 らっしゃい、という声が響く。

くるくると回っている寿司の皿を見たとたん、猫の黄色い毛は逆立ち、 火花を散らさんばかりに金色に輝いた。目が光り、大きな口が開かれた。 しまった、猫は魚が大好物なのだ。 台に駆け寄ろうとする猫を見て、私はあわてた。 猫の肩を右手で押さえ、左手でしっぽを捕まえた。

私「ちょっと待った。ここはお店なんだよ。落ち着いて」
猫「だって、おさかなが、おさかながぁ」

猫はもうよだれを垂らしている。

猫が落ち着いてから席につき、おしぼりで手をふいた。 迷ったけれどビールはやめることにする。 午後からまだ原稿書きが待っているからだ。 隣を見ると、猫は椅子に ちょこなん と座っている。 顔を見ると、皿の回転にあわせて大きな目がくるくる動いている。 私はくすくす笑いをがまんした。

私「ええと、コハダとハマチをください。それからマグロをさびぬきで」
板前「あいよ!…へい、お待ち!」

マグロの皿(130円)は猫の分だ。 猫の手では醤油の瓶がうまくつかめないので、 小皿に醤油をたらしてやる。 猫は爪をちょっとのばして寿司をつかみ、口にほうりこんだ。 沈黙。

猫「お、おいしいですねえ…。もっといいですか」

もっといいですか、というころには、もう皿は空になっている。 早いな。

私「あ、いいよ。何がいいかな」
猫「これ!」

これ、と声をあげながら猫は手を伸ばして、回っている中から中トロの皿(180円)をつかむ。 醤油につけるのももどかしそうに、口に入れ、ぺろりと舌を出した。 おいしそうな顔。 と、その直後、猫は大声を上げた。

猫「か、からいです〜」

ワサビが効いていたらしい。お茶をお願いして、猫に飲ませる。 すると今度は、

猫「あ、あついです〜」

と叫ぶ。そうか猫は猫舌なんだ。

あまりにもうるさくてゆっくり食べていられないので、早々に引き上げることにする。 何の因果で、と思いながらも2人分の料金を払って外に出た。

猫「ああ、楽しかった。ごちそうさま。また来ますね」

猫はそう言うと、ちょうどやってきた路線バスに乗り込んだ。 すばやくバスの最後尾に陣取った猫は、 道に立っている私に向かって、窓ガラスごしに手を振っている。 私もくすくす笑いながら手を振って見送る。

家への帰り道、猫の名前を聞いていなかったことに気がついた。 この次は、いつ会えるだろう。

さ、午後の原稿書きである。

(1998年5月)